何かが欲しかったから。

何かが好きだったから。

何かが嫌だったから。




理由なんて、それで充分。


例えそれが、どんなに理不尽であっても―――――










R E A S O N










噴水の縁に腰掛けて、少年は本を読んでいた。
それは少年の通っている、少年の背後に建てられた学校で使われている教科書の一冊だった。

紋章術について書かれたその本は、主に五行の力について書かれていた。
火の紋章、水の紋章、風の紋章・・・それぞれの特徴の書かれているページは、子供でも解るほど簡潔に書かれていた。
いろんな事が書かれていても、生徒たちが憶えられないせいか、それとも早いうちから余計な知識をつけることに危険でも感じているのか。それはまるで意図的なように感じる。授業で行う内容がこんなもので良いのか、と思わずにもいられないが、この学校で本気で紋章術士を目指している人間など殆どいないのだろうから問題はないのだろう。

少年は大して興味がないようにそのページを捲る。細かい字が並べられたそのページに、在る言葉を見つけて、少年は本から視線を離した。
本を膝に置き、右手を自分の顔の前に掲げ、陽の光に透かす。

包帯の巻かれた右手の甲を見つめて、少年はため息を吐いた。

じゃり、とコンクリートと小石の擦れる音が聞こえて少年が顔を上げると、一人の少女が怒ったような顔つきで少年を見つめている。




「イース、こんな所にいたの?」

「ここにいれば、ニナに逢えると思ったからね」




肩の上でカールしている金の髪を揺らした、少女――ニナに、イースト呼ばれた少年が笑いかける。
読んでいた教科書を閉じ、ゆっくり立ち上がった際に、少女よりも長い黒髪が揺れる。
その様子に、一瞬少女は見とれたが、自分には他に好きな人がいるのだと、首を思いっきり振って変な考えを頭の中から追い出す。
ニナの行動にイースは首を傾げたが、話を続ける。




「それで?テレーズさんを救出しに行くんでしょう?」

「そう!そうなの!!」




ニナは両手を強く握りしめてイースに一歩近づく。
そしてニナはイースの手を取り、真っ直ぐにイースの瞳を見つめる。




「ね、イースも手伝って。イースは紋章術が使えるもの。それに頭が良いわ」

「・・・ニナは僕を信用しているんだね。ニナにはもっと信用できる友達のいるだろうに。何で僕を信用するの?僕は、最近この学校に入ったばかりなのに」

「だってイースは私を助けてくれたじゃない」

「ああ、この街に射られた矢のこと?それだってニナの信用を得ようとしてやったことかも知れないのに?」

「それでも!イースは他にもコーネルやジーンさんたちと一緒に紋章でこの街を守ってくれたわ!それだけで十分よ!」

「・・・・・・」




ニナはイースの言いたいことがよく解らなかったが、イースの何処か冷たさを帯びる言葉に、声を荒げた。
イースが反論してこなくなると、イースの手を引っ張ろうとする。が、ニナが少し引っ張ったくらいではイースは動かなかった。




「イース、お願い。どうしてもテレーズさんはこの街に必要なの。テレーズさんを助けるには、少しでも力が必要なの」




そんなに名の必死の訴えかけに、イースは「・・・わかった」と小さく零すしかなかった。






+ + + + +






先日の戦で軍師としての役割を見事に務めた青年のいる宿屋に、ニナとイースが入ったとき、既にそこには数人が集まっていた。
主に戦の時、軍師から下された命令を全員に伝える――いわば主力になった者や代表者になった者達だった。

もちろん、その中にもニナやイースはいたのだが。


部屋に入ってきたニナとイースに、その場にいた全員の視線が集まった。
ニナはその中に駆けていき、イースはその扉を閉めると、誰も入って来れないように鍵を掛ける。
イースもその集団の中に近寄ると、一人の女性が近づいてきた。


白く薄い布を身に纏った女性だ。
どう考えても、服とは言えない布からは、男として視線の向けどころを迷うようほど、白い肌が露出されている。
すごく女性的な魅力のある彼女だが、もう少し身体を隠して欲しいと、イースは思わずにはいられない。




「ふふふ・・・」

「・・・ジーンさんも来てたんですね」

「そう言う貴方も・・・もう戦争に関わるようなことはしないと思っていたけれど・・・?」

「・・・・・・事情があったんです」

「ふふふ・・・それにしても、『ジーンさん』なんて・・・以前のように呼んでくれて構わないのに・・・」

「・・・・・・」

「ねぇ・・・?『ティル』さん」




そう言ってジーンはイースの背中の中程まで伸びた髪をすくい取り、流していく。
そのジーンを、イースは見ようとはせず、視線を床に落としたまま右手を握りしめた。




「ここで、貴方に会うなんて思っていませんでしたよ、『ジーン』」

「ふふ・・・私もよ・・・」




小さく零すように言うイースに、ジーンは妖艶に笑う。
そしてそのまま部屋の中心のテーブルへと踵を返した。


イースはジーンが離れていったことに少しホッとしながらも、硬く握った手はすぐに開くことはできなかった。
重々しいため息を吐いた後、胸の前で漸く右手を開く。
包帯があったため爪が食い込むことはなかったが、包帯がなければ、今頃掌からは血が流れていただろう。それくらい強く手を握りしめていた。




「・・・できる事なら、僕だって・・・」




ざわめく部屋の中で、そんなイースの呟きは誰の耳にも届かなかった。
その言葉の続きを、イースが言うことはなかった。その言葉が紡がれようとしたとき、なかなかテーブルに寄ってこないイースに焦れたニナが、イースを呼んだからだ。

イースはニナに呼ばれて渋々ながらテーブルに近寄る。
その時、態とジーンとは離れるような場所に立った。




金髪の青年を中心とするその小会議の中、イースの右手に潜む『何か』が笑ったような気がした。




軍師として力を発揮した青年の話に、皆集中して耳を傾ける。
イースもその輪に交じり、青年の考えを頭の中で描きつつ、意見を述べる。




「僕、音の紋章が使えます。それで時間稼ぎはできると思います」

「そうか、それじゃあ、ジーンさんは・・・」




少し控え目な性格のコーネルも、この時は積極的だった。
この中にいる皆がテレーズの救出を願っているのだろう。

そんな中、イースは少しだけ罪悪感を感じていた。




「エミリアさんがテレーズの、ジュドがシンの格好をする。いわば囮だ」

「それで手にの目を欺くわけね!さすがナッシュさん!」

「そのあと、シンと俺がテレーズを森の奥へ連れて行く」

「学園の隠し扉を使うわけですね」




イースが納得したように言うと、青年――ナッシュが深く頷いた。
その後ろでニナが「頑張らなくちゃ!」と気合いを入れている姿があった。その横ではエミリアとジュドがナッシュに言われた言葉に少し戸惑っていたようだった。が、イースはそれを気にすることなく、ナッシュに訊ねる。




「それで、貴方は僕を何処で使うつもりですか?」

「『使う』だなんて人聞きが悪いな」

「では言い直しましょう。僕は何処で待機していれば良いんです?」




イースはナッシュを見定めるような視線で見つめた。
ナッシュの話だと、イースには今のところ役がない。いなくても差し障りはないのだ。ナッシュの立てた作戦は殆ど完璧だった。けれど、一人だけ余ってしまった。そんな人間を、どうやって有効活用するのか、それがイースの興味を惹いた。




「先日も言ったように、紋章術は使えます。剣も使えますし、学園内もよく知っています」

「そうだな・・・隠し扉の外で待っていて貰おうか」

「・・・『中』ではなくて『外』、ですか?」

「ああ。中だと、そこに隠し扉があると言っているようなものだろう?」

「・・・解りました。万が一隠し扉を見つけてしまった奴らを、倒す、若しくは惑わせれば良いんですね」




そう言いながら、イースはナッシュの言葉に内心感心していた。なかなか頭のきれる人間だと。戦いの腕も悪くはない。本業はおそらく剣士だろうが、軍師としても役立つだろう。こういう人間は、戦の中でも重宝する。テレーズが彼を助けたのは、間違いではなかった。




「・・・ふふ・・・」

「・・・ジーン?」

「彼はどうかしら、ティルさんの目から見て、彼は合格かしら・・・?」

「・・・人選と作戦は間違ってないね。ただ、何処か賭に出ている節もある。・・・でも、彼の本業は軍師ではないだろう。ここまでできれば後は従う人間こちらの技量の問題だ」

「そう・・・」

「それより、僕は『イース』なんですけど?『ティル』と呼ぶのは止めてくれませんか?『ジーンさん』」

「ふふふ・・・やっぱり貴方はこんな所に埋もれているのはもったいないわね・・・と言っても、もう先約はいるようだけれど・・・」

「・・・・・・」




ジーンはまたも妖艶な笑みを浮かべ、イースの側から去る。
そんなジーンの背中を見つめながら、ティルはもう一度右手に巻かれた包帯を見つめる。

正確には、その包帯の下にある『もの』を、だが。




「・・・できることなら・・・―――




そう先程と同じ言葉を零しかけてイースは唇を噛む。
例え言ったとしても現状が変わるわけでもないし、おそらく、イースの右手に宿る『もの』がそうさせてはくれないだろう。

イースは諦めるようにため息を吐いた後、右手を握りしめ、足早に部屋を後にした。


イースの合格点得たナッシュの作戦を、成功させなければいけない気がした。






+ + + + +






ナッシュの策は成ったようだった。
イースが待っていた扉は開かれることもなく、ましてやイースの宿した紋章が力を発揮することもなかった。
走り込んできたナッシュと、テレーズを連れたシンの後を追ってくる者は来ず、イースは自分の役目はないと知り、ナッシュたちの後を追った。


隠し扉のすぐ近く――と言ってもイースからは見えない位の距離はあったが――の所に、ナッシュはいた。そこには黒いスーツを着た人物が居るくらいで、テレーズやシンの姿はなかった。おそらく更に森の奥に進み、逃げることに成功したのだろう。そしてナッシュと対峙している人間は、ナッシュに用があっただけで、それを追うことをしなかったのだろう。

イースがそう考えていると、意外にもあっさりとスーツの男はナッシュの横を通り過ぎた。イースが慌てて気配を消し、側の気に姿を隠すと、その男は何事もなかったかのように森を去っていった。

イースがナッシュに視線を戻すと、ナッシュは緊張がとれたかのようにその場に座り込んでいた。
その様子を見て、イースが近寄る。




「・・・お疲れ様です」

「うわ!!・・・て、イースか」

「僕の名前、憶えててくれたんですね」

「ああ、ジーンやコーネルたちと頑張ってくれてたからな。何度もニナが名前を呼んでいたし」

「そうでしたね」




イースは微笑みながら、まだ座り込んでいるナッシュに手を差し伸べた。ナッシュは大人しくその手を取り、お礼を述べながら立ち上がる。
なかなか律儀なんだと、イースは思ったが、それを口にすることはなかった。




「テレーズさんは無事に逃げたようですね」

「ああ、側にはシンがいる。けれど油断はできないが・・・」

「戦火が収まった訳じゃないですから・・・。問題はこれからだと思います」




そうテレーズの逃げていったであろう方向に視線を向けるイースは、外見よりも大人のように見える。
普通なら一騒動が終わってホッとするものだろう。次に来る暴動など、考えるような年齢ではないはずだ。

そう言えば、とナッシュは考えを巡らせる。
おとなしめだったコーネルも十二と言う年齢の割には大人っぽく感じられたし、ニナの行動力は大人顔負けのものがあった。




「最近の子供は大人びてるな・・・」

「・・・そうでもないですけど」




そう言うイースに、ナッシュは「どういう事か」と首を傾げたが、イースは笑うだけで答えてはくれなかった。




「それより、この後ナッシュさんはやっぱりこの街から出て行ってしまうんですか?」

「・・・ああ、俺の役目は終わったし、まだやらなくちゃいけないことがあるからな」

「ハルモニアに?」




その言葉に、ナッシュはイースとの距離を取った。
剣を抜いたわけではないが、腰に差された剣に手が添えられているから、抜こうと思えばいつでも抜ける体勢だ。姿勢は低くしていて、いつでもイースに襲いかかることはできるだろう。

まさか今の会話で、『ハルモニア』の単語が出てくるとは思っていなかった。
ナッシュは自分の出身を言ってはいないし、諜報員という役柄上、そう言った行動には気をつけている。
なのに、この少年は他の何処でもない、『ハルモニア』と言う国を迷うことなく言ったのだ。

ハルモニアから来た?と訊ねられたのは前にも一度あるが、その時は『訊ねられた』のだ。
けれど、今ナッシュの目の前にいるイースは、何処か確信めいたように笑みを浮かべている。




「警戒しなくても良いですよ。貴方に危害を与えようとは思っていませんし、誰にも言うつもりはありませんから」

「・・・それを、何処で・・・」

「企業秘密ですよ」




そう言ってイースは警戒を解こうとしないナッシュに一歩近づく。
ナッシュはそれにあわせて一歩引き下がる。
その様子を見て、イースは仕方がない、とでも言うようにため息をつくと、ナッシュに近づこうとしていた足を止めた。




「餞別に、良いことを教えてあげましょう」

「・・・『良いこと?』」

「せっかく貴方が覚えてくれた名前なんですけどね、それ偽名なんです」

「・・・偽名・・・?」




何のために、とは聞いてこなかった。
未だ笑みを絶やさない少年が何を考えているのか解らなくて、そう言った行動を取るべきなのか、考えあぐねているのだろう。

ナッシュがオウムのように繰り返した言葉に、イースは頷いた。




「ええ、僕の本当の名前は『ティリアス』。ティルと呼ばれていましたけど」

「・・・『ティル』?何処かできいたような―――――っ!?」

「あ、気付きました?」




イース――否、ティルの言葉に、ナッシュは一瞬考えを巡らせた後、大きく目を見開いた。
その視線は真っ直ぐにティルに伸びており、驚愕に満ちていた。
その瞳を見て、ティルは小さく笑う。




「知っているはずですよね。僕のことくらいは」

「・・・トランの・・・っ!?」

「あまりそう言う言葉は好きではないんですけど、そう呼ばれることもありますね」




ティルは絶えず笑みを浮かべながら、右手の包帯をしゅる・・・、と解いていく。
やがてナッシュの瞳にも映るほど姿をあらはしたそれに、ナッシュは思わず息をのんだ。


緋とも黒とも言えないまさに血のような色の紋章。
右手の甲に彩られたそれは、死に神が鎌を持っている様を描いているような文様だった。
まだ完全には解かれていない包帯だが、その姿ははっきりと見える。それがなんなのか解らないほど、ナッシュは無知ではない。




「どうします?僕を捕まえてハルモニアに連れて行きますか?」




ティルは右手の甲をナッシュに見せつけるようにして、自分の顔の前に翳す。

ナッシュはその紋章からなかなか目が離せなかった。
その紋章の名前は知っている。文献でも何度か見たことがあるそれは、しかし実際に目にしたことはなかった。おそらく、それを目にしたことのある人間は殆ど限られているだろう。真の紋章など、そう簡単にお目にかかれるものではないのだから。


けれども、ティルの問いかけに、ナッシュは首を横に振った。

真の紋章の力は、ナッシュの手に負えるようなものではない。
まだ、この少年が自ら自分についてきてくれるというならまだしも、この少年が大人しく自分についてくるようには思えない。




「そうですか・・・」




ナッシュが首を横に振ったのを見て、ティルは右手を下ろし、解かれた包帯を手慣れた手つきで巻き直していく。
ナッシュはそれだけで、身体の力が抜けていくような感覚を味わった。
そこで漸く、ティルの紋章を見てどれだけ体が強ばっていたのかを知った。それほどまでに、あの紋章に恐怖を感じていたのだろう。




「僕はハルモニアに行くつもりはありません。貴方の上司に、そう言っておいてくださいね」




そう言ってティルは右手の包帯を巻き終えると、ナッシュに背を向けた。


ティルはティルの右手に宿る紋章をハルモニアが狙っていることを知っていた。それはティルの紋章に限らず、真の紋章全てに言えることだが、それ以上に、ティルの紋章はハルモニアにとっても『特別』であることを知っていた。




「・・・最後に、聞かせてくれ」

「・・・僕に答えられるものなら」




後ろから掛けられた声に、ティルは足を止め、少しだけナッシュの方に向き直る。

その姿勢に、ナッシュは少し威圧感を憶えた。これが『トランの英雄』かと、生唾を飲み込む。




「何故、そのことをわざわざ俺に言う?別に俺に言わなくても、あんたを見つけ出すことは容易じゃない。まして捕まえるなんてことは、神官将でもできるかどうか・・・」

「確かに、君たちを追い払うくらいだったら簡単だし、僕が本気で姿を隠せば見つかることもないだろうね」

「なら・・・」

「でも、今僕は意外とハルモニアに近いところにいるんだよ」

「それはどういう事だ?」




もはやティルはナッシュに敬語は使っていなかった。
ナッシュ自身それに気付いてはいたが、敢えて口に出すこともなかった。
むしろ今まで敬語を使っていた方が可笑しいのだと、そう思っていた。


ナッシュの問いかけに、ティルはくす、と小さく笑い、視線をナッシュから離し、グリンヒルの方に向ける。




「・・・僕が何故、この街にいると思う?」




まさか、本当に勉強をしに来ているとでも思った?
と笑うティルに、ナッシュは首を横に振る。
その理由は、ナッシュにも分からなかった。だからこのことも訊ねようと思っていたのだが、ティルに先手を打たれてしまった。

ナッシュが答えられないと知って、ティルが口を開く。









「僕は今、ハイランド側に属しているんだよ。ここに来たのは、スパイとして・・・ね」









その言葉に、ナッシュは驚愕のあまり、目を見開いてティルを見つめた。
その様子に、ティルはまたもくす、と笑いを零した。

ナッシュには解らなかった。ティルの行動の意味が。ハイランドに属しているというのに、何故テレーズを助けるようなマネをしたのか。テレーズをハイランドに引き渡していれば、戦は有利になると言うのに。
更に言えば、ティルのような人間がハイランドに属しているようには到底思えない。彼の実力からすれば、スパイどころか、将軍・・・若しくは軍のトップにいたって可笑しくないはずなのに。




「何故・・・」

「何故って・・・、さっきからそればっかりだね。まあ言うならば、『目的のため』かな」




目的がなんなのか、ナッシュは聞こうとはしなかった。聞いても答えてくれないと知っていたからだ。
ナッシュは小さく溜めていた息をはき出すと、質問を変えることにした。




「なら、どうしてテレーズを助けた?」




その言葉に、ティルの笑みが消えた。
包帯の下に隠れている紋章を見透かすように見つめ、目を細める。

けれど、少し俯きがちな為、ナッシュからティルの顔色は窺えなかった。




「この紋章の名前は、知ってるね?」

「ああ・・・、『生と死の紋章』・・・だろう?」

「そう、別名『ソウルイーター』・・・文字通り、魂を喰らう呪われた紋章だ」




左手が右の手の甲を撫でる。その動きは、紋章をなぞっているかのように見えた。
死に神の持つ、魂を刈る鎌をなぞったところで、ティルの手が止まる。




「この紋章は、沢山の命を刈り取ってきた。老若男女関わらず、にね。僕の大切な人の魂も、この中で眠っているよ・・・」

「・・・・・・・・・」




ソウルイーターの呪いは知っている。
宿主に近しい魂を刈り取るのだ、と。だからこそそう言う名前が付けられたのだ。

どれほど多くの魂を抜き取ってきたのかは知らない。
それでも、解放戦争時十五、六歳の少年にとって、それがどれだけ重いものだったか、ナッシュには測り知れない。
少年が背負うには重すぎるのだ、この紋章は。






「『もう二度と』なんて我が儘を言うつもりはない。・・・それでも、もう人が死んでいくのを見るのは・・・嫌だから」






市長代理、とはいえ、この市にとってテレーズの存在は大きい。
ハルモニアの手口から考えて、人質としてテレーズを捕まえるようなことはしないだろう。他の誰かならともかく、指揮を執っているのがあの狂皇子ルカなのだ。
サウスウィンドゥが良い例だろう。

そう考えて、ナッシュは言葉を飲み込んだ。






それきりナッシュを振り返ることもなく、ティルは校舎の中に入っていった。
そんなティルを、もはやナッシュは止めようとはしなかった。
ティルの背中が完全に見えなくなってから、ナッシュは近くの樹に背を預け、空を仰ぐ。

絵の具で塗ったように真っ青な空を、少しの雲が隠そうとしている。
思わず手を伸ばして、その雲を掴もうとするが、もちろん掴める筈などない。
空を切る手を、ナッシュは握りしめた。




「『死』・・・か・・・」




ナッシュだって人の死を見ていないわけではない。
諜報員としてここまで来るまでにいろんな街や村を渡り歩いた。先日寄ったトトの村は村全体が火に焼かれ、もはや人の住める場所ではなかった。

けれど、そんな場面を、あのティルという少年はどれほど見てきたのだろうか。

少年の見かけは十四、五と言ったところだが、おそらくもう二十近いか越えているだろう。『トランの英雄』は解放戦争が終わった頃、確か十六だったと記憶している。
子供とは言い切れないが、それでも、大人と言い切ることもできない様な年齢だろう。


ナッシュは一度今のことを報告しようか悩んだが、預けていた背を樹から離すと、大きく伸びをして踵を返す。


向かうのはハルモニア。
自分は諜報員だ。得た情報は報告しなければならない。それに何よりも、彼からは伝言を預かっている。
それでハルモニアが動こうが動くまいが、それはおそらく自分には関係ないことだ。




「あ〜・・・腹減った・・・」




そんなナッシュの声は、吹いた風の音と葉摺れの音でかき消されてしまった。









敵も味方も関係ない。

けれど、紋章の好きにはさせない。




全ては運命の導くままに・・・そして。


自分の願うがままに―――――











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【reason】・・・理由・動機



* * * * * * * 後書き * * * * * * *




前回に比べて長いです・・・。
ちょうど外伝の話ですね。
ニナとナッシュ、コーネルとジーンの話し方がいまいち解っていません・・・。
個人的にナッシュは好きです。
彼の不幸さはフリックと対になるほどですよね・・・

だんだんティル坊ちゃんの性格が解らなくなってきました。(え)
もっと儚げなキャラクターにする予定だったのですが・・・黒くなってきてる気がします。

それよりも未だルックが出てきてないよ・・・!!!
次!次ではきっと出てくるはずです!・・・多分(あまり自信がない)