空に輝くは赤い星。
その周りに集まる、幾つかの星。
それらは輝きを増す。
そして、その刻に、時代が動き始める―――
N O T I C E
手を、伸ばした。
走ればすぐ届く距離。なのに、何故か足が動かない。
手を伸ばしても、その距離が縮まるわけもなく、ただ空を切るだけ。
目の前にうずくまっている、ひとつの影。
その影に向かって叫んでみたが、声が出ない。
目の前の影は動かない。きっと後ろに自分がいることも気付かない。
右手が、急に熱くなった。
そのことに気付き、慌てて右手を押さえる。
けれど、一度持ってしまった熱は引かず、それどころか更に温度を増している。
叫びそうになった。
その熱さよりも、右手から現れた、闇に。
その正体がなんだか知らないわけがない。
それが何を求めているのか、知らないはずがない。
だからこそ、それに恐怖を感じたのだ。これから起こってしまう、惨劇に。
――――・・・・・・て、・・・・・・っ
口だけが動く。言葉には成らないそれ。
闇が、目の前でうずくまる影に忍び寄る。
何とかしてそれを止めようと、右手を押さえる左手に更に力を入れる。
なのに、右手から溢れていく闇は留まることを知らないかのようにどんどん流れていく。
大きさを増した闇が、影に襲いかかる。
――――や・・・、・・・っ!
それに気付いた影は顔を上げ、闇を見た。
逃げてくれ、と唇が告げる。声ではない言葉は、影には届かなかった。
けれど、闇の恐ろしさを、影は知っているはずだった。だから逃げると思った。
―――なのに。
「これが、僕の『罪滅ぼし』になるなら―――」
影は闇に向かって手を伸ばした。
それと同時に、『やみ』の嗤う声がした。
「―――――――――っ!!!」
少年は、声にならない叫び声を上げて瞳を開いた。
まず視界に入ったのは、見慣れた白い天井と、自分の伸ばされた左手だった。
きれた息を整えながら、少年は伸ばされた手を引き寄せる。
その手を左目の上にのせ、ため息をひとつつく。
左目にのせた手は少し汗ばんでいた。それと同じように、前髪に覆われた額も汗をかいていた。
――何度目だろうか。少年はそう思いながら身体を起こす。
左目に置いていた手を少しずらし、額を覆い隠す前髪を握りしめる。
まだ少し熱い右手。その右手で、シーツを握りしめる。
「・・・・・・同じ、・・・夢・・・」
まだ暗い部屋の中。その声だけが静かに響く。おそらくまだ朝日も昇っていないのだろう。
殆ど毎日と言っていいほど見る夢。
そのたびに魘され、今日のように自分の叫びで目が覚める。
そんな夢のおかげで、いつからか叫び声を無意識に押さえるようになっていた。だからこうしていつも喉の奥で声を殺している。
そのおかげで目が覚めたときに周りを気にする必要はなくなったが、夢を見なくなるわけではなかった。
けれど、今はその夢に感謝していることもある。
「・・・僕、は―――――」
静かな部屋の中。けれど、その先の言葉はまた喉の奥に閉じこめられ、言葉になることはなかった。
+ + + + +
その日の授業は、どこか落ち着きがなかった。
理由はわかっている。転入生が入ってきたからだ。
少年が二人、少女が二人。それと真っ白い狼が一匹。
この学校の生徒の殆どは、その転入生が視界に入るたびに凝視してしまう。
その理由の一つが、入ってきた少年達の容姿の為だろう。
四人ともなかなか整った顔立ちをしているのだ。特に一番年上と思われる少年は女生徒の視線を集めていた。
しかし残念なことに、その少年は気楽に話しかけられるような雰囲気は持ち合わせていなかった。
そのため、女生徒は遠巻きに彼を見つめ、ひそひそと友人達と言葉を交わすのである。
第二の理由として、彼らの成績が上げられる。
生徒達は知らないが、彼らは旅慣れている。そのため一般の知識は乏しいところがあっても、武術、紋章術においては他の生徒達よりも秀でていたのだ。
初めはそれをすごい、としか感じなかった生徒達だが、だんだんそんな彼らに疑いのまなざしを向ける生徒が増えてきたのだ。
彼らより一般知識は乏しいというのに、武術、紋章術――つまり『戦い』の面では彼らの方が圧倒的に勝っているのだ。
そしてこの市の置かれている状況として、考えない人は少なくはないだろう。
―――この者達はどこかの兵士なのではないか、と。
そして、この市を、自分たちを狙っているのではないか、と。
かといって、今の自分たちでは彼らに勝つことは出来ない。実力が違うのは解っているのだ。ならば近づかない方が良い。
そんな考えが生徒達の間で広がりつつあるのだ。
そんな状況にため息をついたのは、転入生の一人であるフェイだった。
確かに目的はこの学校の生徒達と仲良くなることではなく、別にある。そのためにはこの市の状況を把握し、市長代理であるテレーズを探し出さなければならない。
ところが、情報を集めようと思っても周りが自分たちを避けているのであれば、聞くにも聞けないのである。
クラスの違うルックとアイリも同じような状況だと言えた。
・・・ルックが積極的に情報を集めているのかは定かではなかったが。
「授業なんて受けてる場合じゃないのに・・・」
ぽつ、と零された言葉に、フェイと同じクラスになったナナミが教科書とにらめっこをしていた顔をあげる。
その大きな瞳はフェイに疑問を訴えていた。
「なんで?フェイは楽しくないの?」
「楽しい楽しくないの問題じゃないよ、ナナミ・・・」
ナナミの言葉に、フェイは思わず脱力してしまう。
おそらく、今のナナミは自分がここにきた目的など、すっかり頭から抜けているのだろう。
確かに、フェイとナナミは学校という物に行ったことがない。フェイだって、おそらくもう二度と味わえないであろう、学校生活は楽しみたい。
けれど、フェイは自分のやるべき事をはっきり憶えていたし、それを蔑ろにして楽しむことなどできなかった。
更に言うなれば、フェイが思っていた以上に、学校という物は楽しくないのである。
教師の話を聞いて、教科書を読んで、メモして。それの繰り返し。フェイには、教師が時折鬼軍師に見えて楽しむどころの話ではない。
「・・・イースさんとジンさんくらいなんだよねぇ・・・」
話しかけても、避けないでいてくれる人って。
そう零して視線を左前に走らせる。
短めの赤毛の髪と、漆黒の長い髪が見えた。ジンとイースである。
そう言えば、とフェイはイースの後ろ姿を見つめる。
ジンがイースも少し前に入ってきた転入生なのだと言っていた。
それなのに、今のフェイたちとは全く扱いが違う。それが何故なのか、フェイには解らなかった。
それを後で二人に聞いてみようと考えながら、フェイは残りの授業時間を真っ白のノートに落書きすることで費やした。
+ + + + +
漸く待ち望んでいた休み時間になって、フェイはイースたちの元に駆け寄った。
ナナミは一度ピリカの様子を見に、寮に戻るのだという。この時間は昼休みにも当てられており、この機会を逃すと学校が終わるまではなかなか寮には戻れないのだ。
イースは二人のクラスメイトに話しかけられていた。どうやら授業中に配られた問題の説明をしているようだった。
フェイはその話が終わるのを、イースたちから少し離れた場所で見ていた。
二人がイースから離れたのを見計らってから、イースの側に近づく。それに気付いたジンがイースを肘で小突き、イースもフェイに気がつくと、笑みを返してくれた。
「お疲れ様、フェイ」
「どうよ、授業の方は」
「はは・・・もう、ちんぷんかんぷんです」
「そうかそうか。わかんなかったらイースに教えて貰え。俺には聞くなよ」
「・・・普通そう言うのは自分に聞けって言うものじゃないの?」
「俺よりもイースの方が教えるのは上手いからな」
「そこ、威張るところじゃないですよね」
フェイの言葉に、ジンは言葉を詰まらせ、苦笑いするしかなかった。
そんなジンなど気にも留めず、イースはフェイに「何か用があったんじゃない?」と訊ねてきた。
つくづくこの二人は人の心を読むのが上手いと思う。
ジンはクラスメイトとフェイがうまくいっていないことを気にしてくれているし、それをフェイが気にしているのも気付いてくれているから、クラスメイトの話を持ち込んだりはしない。
イースはそう言う気遣いをしてくれる上に、フェイが何をしたいのかを促してくれるのだ。
話の腰が折れたまま
話を続けてしまい、目的の物が果たせないことが少なくないフェイにしてみれば、とても助かる気遣いだった。
けれど、内容が内容だったため、まだ人の多いこの場所で離すのは躊躇われた。それでフェイが躊躇っていると。
「今日は天気も良いし、外で話さない?」
「ね、」とイースがジンに尋ねるとジンは頷き、フェイも大きく頷いた。
+ + + + +
「それは、時期が時期だったからなぁ・・・」
廊下を歩きながらフェイが「イースさんと僕って同じ転校生なのに扱いが違いますよね?」と訊ねると、ジンから返ってきた返事はそれだった。
その答えにフェイは思わず首を傾げる。
「?でも僕とイースさんってあまり変わらないんじゃ・・・」
「時間的には、な。でも以前・・・ミューズの人達が解放される前、ハイランドと戦うことになったのは知ってるだろ?その前にイースは来たんだよ。だから、まだ今よりも市外の人間に対しての警戒は薄かったんだ」
イースとジンの話によれば、今のように市外の人間に対しての警戒が強くなったのは、ミューズの兵が解放されてからだと言う話だった。確かにミューズの兵が解放された後、ミューズとの争いがあって、それが原因でハイランドに負けてしまったのだ。警戒もするだろう。
「それに、イースはその時の戦争でこの街を守ってくれたからな・・・」
その時の様子を思い出すかのようにジンが言う。
フェイはその言葉を聞いて少し、その様子を想像してみた。
イースが武術だけでなく、紋章術に長けていることは既に知っていた。
見た目は儚そうなのに、初めてイースと対峙したときの威圧感を思い出して、ジンの言葉に納得する。
「あれだけの実力があるんですからね・・・大活躍だったんじゃないんですか?」
「もちろん!」
大きく頷くジンとフェイの間で、話はどんどん盛り上がっていく。
当の本人であるイースは、一言も喋ろうとはせず、二人の後をついて行くだけだった。
その理由として、どんどん熱を持ち始める二人の会話になかなか口を挟めなかった、ということもある。
しかしそれ以上に、イースは口を挟む気にすらなれなかったのだ。
まるで自分の自慢をしているかのように話すジンの背中を、イースは眉根を細めて見つめていた。
ジンが嘘を言っているわけではない。
多少、大げさに表現している部分もあるが、話の本筋は間違っていない。
それでも、イースがそんな二人の話を聞いて辛そうに顔をゆがめるのは、二人が――二人だけではなく、この市にいる殆どの人が、イースを信頼しきっているからだ。
そんなことは露知らず、二人の話はどんどん盛り上がっていく。
それを止めたのは、後ろから走ってきたクラスメイトの一人だった。
「ジンっ!」
「ん?どうしたよ?」
「ニナを止めるの手伝ってくれ!」
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・頑張ってね、ジン」
「放っておいたら、駄目なのか・・・?」
「未だレポート出してないの、ニナだけなんだ。授業終わったらすぐにいなくなるし、学校のどこにいるのか解らないし、見つけて声をかけてみても気づかないし、俺の足じゃ追いつけないし、というか怖くて追いかけたくないし」
「・・・・・・正論だな」
「僕の時も止めてくれたの、ジンだったね」
「頼むっ!今日中に全員分提出しなくちゃならないんだ!この後の休み時間って短いし、この機会を逃すと捕まえられないと思うし!」
「・・・俺の、昼飯・・・」
「頑張って早く見つければ食べられるよ」
「・・・・・・俺の、昼・・・」
「・・・ジンさん、頑張ってください・・・」
「・・・・・・おう・・・」
そう言ってずるずると引きずられていくジンを見送ってから、イースとフェイは廊下を歩き出す。
その時、ジンを哀れに思ったフェイが一度ジンを振り向いたけれど。
「ニナ捜しで被害に遭いたくなかったら見ぬふりをした方が良いよ」
と、イースの言葉を聞き、初めてニナと会ったときのことを思い出し、フェイは口を噤んだ。
フェイだって振り回されるのはナナミ一人で充分なのである。
+ + + + +
噴水の側で、イースはおもむろに自分の右耳に着けられたイヤリングをはずした。
赤い飾りの付いたそれは、左耳に着けられた碧いピアスとは全く違う物であることは一目で解る。
それをイースはフェイに差し出した。
フェイはイースの意図がわからなくて、イヤリングとイースの顔を交互に見つめた。
「これを、渡して欲しい人がいるんだ」
「・・・え?」
「フェイは、ナナミちゃん達以外に、もう一人一緒に来たよね?青いマントを着けた人と」
「あ、はい」
「その人に、これを渡して欲しいんだ。元々、彼が持っているべきだったはずの物だから」
「これが、ですか・・・?」
フェイは疑っているかのようにそのイヤリングを見つめる。
どう見ても赤いそれは、青ずくめといっても過言ではない彼には似合わないように見えた。
「彼が持っているべきだった」とイースが言っていたから、フェイはそれを彼の持ち物だと考えてしまったのだ。
そのフェイの考えていることが解っていたこの様に、イースが苦笑いを浮かべる。
「もともと、彼が持っていた物ではないんだ」
「・・・へ?」
「彼の、『大切な人』の遺品なんだ」
その言葉に漸く納得がいって、フェイは「なるほど、」と呟く。
彼の『大切な人』が誰かは知らないが、それなら彼が持っていた方が良い物だと思う。
「でも、これ、イースさんがもらった物じゃないんですか?」
「本当はもっと前に渡すつもりだったんだけど、タイミングを逃してしまってね。彼には、嫌われていたから。それに、その時は僕が持っていた方が良いと思っていたんだ。今はもう、僕には必要がないからね」
「なら、直接返した方が・・・」
「悪いけど、今、彼と会うわけにはいかないんだ」
イースはそう言うと、未だ少し渋って受け取ろうとしないフェイの手を掴むと、その手の上にイヤリングを落とす。そしてそのイヤリングをフェイに握らせた。
フェイはイースによって握らされた手を開き、その中に収まっていたイヤリングを見つめる。
何か中に入っているように見えて、それを陽にかざす。
太陽の光を反射したそれの中に見えたのは地図のような物だったが、それがどこを示す地図なのかはフェイには解らなかった。
仕方なく、それをなくさないように懐の中に入れる。
それを見たイースが優しく微笑む。
「ありがとう。渡せばそれが何なのか、解ると思うから」
「解りました。絶対に、渡します」
フェイがそう言うと、後ろからナナミの声が聞こえて振り返る。
ナナミはフェイがここに来ることを知っていたのか、噴水の縁に腰を下ろして、フェイに向かって手を振っていた。その隣には4歳くらいの女の子もいる。ピリカだ。
フェイも笑顔を向けてナナミ達に手を振り返す。
「ナナミ達もお昼みたいですね」
「そうみたいだね。悪いけど、僕はちょっと用事があるから・・・」
イースは教科書の間に挟まれていた封筒を取り出し、フェイに見せる。
フェイはそれを誰かに渡すのだろうと、考え、イースに頷き返した。イースは「ごめんね」というと足早にその場を去る。
フェイはナナミ達の方に駆けていき、ナナミとピリカを挟んだ場所に腰を下ろす。
そしてナナミの持っていたパンを一つ受け取り、ほおばる。
どうやら、ピリカと二人だけでは寂しかったらしいので、ここでフェイを待っていたらしい。
そのため、ナナミの膝の上にはフェイの分の食事も用意されていた。
食事を食べながら、フェイは一つのことに気づく。
―――どうして、フリックをイースさんが知ってるんだろ?
誰かに聞いたのか、と考えながら、ナナミに名前を呼ばれて、その疑問を頭の端に追いやった。
イースの持っていた封筒が誰に渡されるのか。そんなことは全く考えてもいなかった。
+ + + + +
イースは、寮の裏の森の中にいた。
迷うことなく、イースはその森をどんどん進んでいく。
その待ち合わせ場所はもう何度もきている場所だった。それに、例え迷ったとしても、『それ』の居場所は右手にある物が教えてくれる。だからほんの少し意識を集中させれば、迷うこともなくそこにたどり着けのだ。
やがて見えてきた『それ』は、見た目は金色に輝く子犬だった。
イースを見つけると、可愛いしっぽを大きく振り、その足下に駆け寄り、スリ、と頬を寄せてくる。
そのかわいらしい動作に、イースは笑みを零し、その子犬の側にしゃがみ込むと、軽く頭を撫でてやる。
そして、先ほどフェイに見せた封筒を、その子犬に差し出すと、子犬はそれを咥えた。
「いつものように、それを、―――――ルカに」
そのイースの言葉に子犬は頷くように、首を縦に振る。
そして向きを変えると、子犬の物とは思えないほどの早さで駆け、去っていく。
その姿が木々で見えなくなるまで見守り、イースはその場を後にしようと、踵を返す。
そこで強い魔力を感じ、自らの気配を消し、木々に隠れる。
そして風とともに現れた人物の声に、瞠目した。
「―――この気配は、獣の紋章・・・?」
少し長めのオリーブグリーンの髪。
霧散した魔力を帯びた風。
それだけで、イースにはその人物を見なくても彼が誰なのか解ってしまった。
だから彼が自分に気づかないよう、出来るだけ気配を消した。物音を立てないようにその場に座り込み、彼がいなくなるのを待った。
―――それなのに。
「漸く見つけた―――」
その声が間近で聞こえて、イースは顔を上げる。
そしてそのアメジストの瞳に映ったのは、先日フェイとイースが対峙したときにフェイを迎えにきた少年だった。
「―――――どうして・・・」
目の前にあるその姿を見て、イースは瞳を大きく見開く。
気配は完全に消していたのに。右手の存在だって、解らないはずなのに。
そんなイースの動揺など知らないかのように、少年はイースの頬に手を伸ばす。
「―――――捜したよ、ティル」
彼が目の前に現れた瞬間、木の葉がざわめいたように感じた。
まるで、イース――ティルの心の乱れを顕しているかのように。
伸ばされた白い手が、そっとティルに触れる。
その手の存在に、ぬくもりに、ティルは一瞬体を強ばらせる。
体温としては、幾分冷たい手。けれど、その手には確かにぬくもりがあった。
ティルは目の前にいる少年から少しだけ視線をそらした。
未だできあがっていないのか、身に纏っているのは本来着るべき制服ではなく、緑の法衣。
その法衣をどこか懐かしい思いで見つめ、自分の頬に触れている手に、自分の手を重ねたくなる衝動を抑える。
何も、考えられなかった。
どうして彼が此処にいるのか。
どうして自分の存在に気付いたのか。
どうして、――こんなにも優しく触れてくるのか。
考えたいことはいくらでもあるのに、何一つ考えが纏まらない。
「・・・ティル」
ティルの記憶にあるよりも、少し低くなった声。
その声に、ティルはびく、っとまた体を強ばらせる。
「・・・捜したよ。戦いが終わったらいなくなるって解ってはいたけど、それでも捜した」
ティルの頬に触れる手が、少しずつ移動していく。
耳元を撫で、髪を撫でる。
肌の上を動いていくその感覚に、ティルは体を震わせたが、少年はそんなことなど全く気にもせず、ティルの長くなった髪を梳く。
そしてあるところでその手を止めると、髪を握り、自分の目の前まで持ってくる。
「伸びたね、髪」
ティルはそこで初めて目の前にいる少年を真っ直ぐ見つめた。
翡翠のような瞳。
オリーブグリーンの髪は少し長めで、形の良い輪郭を覆うよう。
その輪郭も、少ししっかりとした物になり、彼が成長したことが解る。
そして―――彼の右耳には、見覚えのある物が着けられていた。
碧い、ピアス。
それは元々、彼が着けていたサークレットに着けられていた宝珠を加工した物であることをティルは知っている。
しかし、それは右耳には着けられていて、左耳にはない。その左耳にあるべき物は、今、ティルが左耳に着けているのだから。
「―――・・・ルック・・・?」
その声に、目の前の少年――ルックは小さく頷き返した。