テレーズから返ってきた答えは、フェイが――同盟軍が望んでいた物ではなかった。




―――私は、もはやグリンヒルの市長代行ではないのです・・・




今にも消えてしまいそうな声色に、フェイはそれ以上踏みいることは出来なかった。


テレーズの気持ちは、フェイもわかる。

誰も傷つけたくない。
誰も戦わせたくない。

その気持ちは、フェイも持っている。否、今でも持っている。

信頼される側の人間として、慕ってくれる人々にそう願うのは、当然のことだった。
そう言う人間だからこそ人は集まり、篤い信頼を寄せるのだから。




小屋を出る直前に、イースとジンに視線を向けた。
二人とも小屋から出てきたときと同じように深々と外套を被り、顔を隠してしまっていたため、フェイは二人の表情を見ることは出来なかった。
けれど、二人はフェイの視線を感じたのか、声をかけてもいないのにフェイの方を振り向いた。
その事にフェイは一瞬驚いた後、感じていた疑問を隠すことなく、二人に尋ねた。




「二人は、僕が同盟軍軍主だと知っていたんですか・・・?」




その問いかけに、ジンが首を横に振った。
イースは目したまま、首を縦にも横にも振ろうとはしなかった。




「俺は知らなかった。まぁ、何か目的があって此処に潜り込んできたとは思っていたけどな」

「・・・僕は、知ってた」




にっ、とジンが笑う側で、イースは俯きながら答えた。
その答えに、フェイはもちろんのこと、ジンですら驚きを隠せなかった。




「・・・フェイという名前は聞いたことがあったし・・・。どうして偽名を使おうとはしなかったの?」

「使おうって案はあったんです。仮にも同盟軍のリーダーですし。けど、ナナミがつい本名で呼んじゃうので、もういいか、ってことになって・・・」

「あ〜・・・駄目じゃんか。でも気付いたのはイースくらいだろ。こっちは同盟軍のことよりも自分たちの方で精一杯だったからな。そんな名前を気にしている程、余裕はなかったはずだ」




ジンがまた年相応に笑う。ジンの笑顔を見て、フェイもつられて安堵の息をつく。
イースはそんな二人を黙って見つめていた。






+ + + + +






ざわめきが街全体を包み込んだのは、次の日のことだった。


現段階でテレーズを同盟軍に引き入れるのは難しいと判断したフェイ達は、これ以上グリンヒルに用はなかった。
用が無くなれば、早く本拠地に戻らなくてはならない。長いこと軍主が本拠地を離れていると、軍の中で不安が生まれる原因となってしまうからだ。

フリックとルックはその事に反発こそしなかったものの、この市から早く出ようとはしなかった。それどころか、心残りでもあるかのように、寮舎をちらちらと振り返っていた。


けれど、それも噴水の側を通り過ぎるまでだった。

その噴水の縁に腰掛けていたのは、イースとジンだった。

時刻は荷物を求めるのに時間がかかってしまったため、もう陽が昇りきっていた。
授業は、とっくに始まっている時間だった。けれど、授業に出ているはずのイースとジンは学校の校舎の中ではなく、噴水の側にいて、フェイ達を見て微笑んだのである。




「見送りくらい、させてくれよな」




そう言ったのはジンだった。
その隣にいたイースはフェイの側をすり抜けると、緑の法衣に身を包んだ少年の前で足を止めた。
それには誰もが驚いた。
イースを目の前にした少年――ルックですら瞠目し、イースを見つめていることしかできなかった。




「ルック。これだけは憶えておいて」




いつもは流されていた黒髪は、この日は首元で一括りに結われていた。
それが元々は若草色のバンダナであったことに気付いたのは、フリックだけだった。
それがバンダナだったと知っているもう一人の人物は、目の前にいる少年の青灰色の瞳から目が離せなかったから。

イースの左耳に着けられているピアスが、陽の光を受けて煌めいている。









―――僕は絶対、ルックを裏切ったりはしないから―――









その言葉に、ルックは更に目を見開いた。
けれど、イースが向けてくる瞳はとても真摯な物だったから、ルックは何一言発することなく、黙したまま首肯した。




それからはイースの両脇を、ルックとフリックが固めていた。けれど、その三人の間で会話があったわけではなかった。
三人とも誰一人として言葉を発しない。けれど、それが三人の絆の深さを物語っているようだった。

本来ならば、フリックがこの中で一番側にいなければならないのは他の四人で、ルックが護らなければならないのはフェイのはずだった。けれど、そんな三人の間にフェイ達が入れるわけがなかった。
フェイはルックとフリックとイースとの関係を訊きたかったが、それを口にすることもなく、黙々と歩を進めた。


街の中にはいるまで、八人(と一匹)が口を開くことはなかった。




街中がざわめいていることに気が付いたのは、大して時間はかからなかった。

それに誰よりも先に近づいていったのはフェイとナナミだった。それに少し遅れてジンが駆け寄る。
そして更にその後に続くかのように五人(と一匹)が近寄る。




「元グリンヒル市長代理、テレーズ・ワイズメルを捕らえた者には荷馬車一台分の金貨と、ハイランド国民の市民権を与える!!」




そんな声が町中に響き渡る。
もちろん反論の声が上がった。

誰が従うものか、と。
嘘をつくな、と。
グリンヒルは我らの誇りだ、と。

その反面、俯いて何かをたくらんでいるかのように考え込む者の姿もあった。




「大金と身の安全の保証が条件じゃ、密告者が出てくるのも時間の問題だな・・・」




そのフリックの言葉に、フェイが眉根を寄せる。
汚い手だと、フェイは唇を噛みしめ、右手を握りしめた。




「そんなの、僕が許さない・・・っ!!」




俯いてはき出された言葉は、悔し身からこぼれ落ちたものだった。
その悔し身を振り払うかのようにフェイが勢いよく顔を上げると、そこには先ほど無かった姿があった。

それを目にして、フェイは一瞬幻を見たかと思った。
フリックは困惑した表情でそれを見つめた。
ナナミは小さく悲鳴を上げた。
ピリカはナナミの服の裾を握りしめていた手を離した。
アイリは自分の目を疑った。
シロはうなり声を上げた。
ルックは小さく舌打ちをした。
ジンはその光景をただぼんやりと見つめているだけだった。
イースは少し眉根を寄せ、一瞬だけルックの方を見た。


一番最初に言葉を発したのは誰だっただろうか。それはどんな言葉であっただろうか。
一番初めに眉宇を寄せたのは誰だっただろうか。


そんなことすら憶えていないほど、フェイに与えられた衝撃は大きかった。






「・・・ジョウイ・・・っ!?」






フェイの隣ではナナミが言葉を失っていた。更にその隣ではピリカが今にも泣き出しそうに顔をゆがませていた。
けれど、それに気が付くほどフェイに余裕はなかった。


駆け寄ったのは、ピリカだった。
それに気付いてフェイが慌てて止めようとしたが、ピリカの方が一歩早かった。

人混みをかき分けて、ピリカがジョウイの側に駆け寄る。
それと同時に、ジョウイの瞳にはピリカとフェイの姿が映った。




「ピリカ!?・・・フェ――




ジョウイも目の前に飛び込んできた姿に、言葉を失う。
二人とも視線を合わせたまま言葉を失っていると、王国軍の一人がフェイの姿を見て駆け寄ろうとした。
けれど、それはすぐさま別の声によって遮られてしまった。




「おい、みんな!!!そいつらを捕まえろ!!!スパイだ!スパイだぞ!!捕まえたら金がもらえるぞ!!!!」




聞いたことのある声に、フェイはジョウイから視線をそらす。
それと同時にアイリがフェイの腕を掴んで引っ張った。




「何ボヤッとしてるんだい!さっさと逃げるよ!!」




フェイはそんなアイリに返す言葉もなく、一度頭を振るい、よけいな考えを頭から追い出すと、ピリカを抱きしめる腕に更に力を込め、駆け出す。

ジョウイはその背中を黙って見つめていた。
人混みの中に姿を消してしまったその背中に伸ばされた手は、行き場を無くし、空を掴んだ。






+ + + + +






道案内は先頭を走るジンがしてくれた。その後にフリック、フェイ、ピリカ、ナナミ、アイリ、ルックと続き、一番後ろをイースがついて行った。
昨夜通った時は暗かったため道が分かり難かったが、昼間の明るい時間だと、思ったよりも道がはっきりしていた。


逃げる、とアイリは言ったが、それ以前にやるべき事があった。

先程のジョウイの言葉を思い出して、フェイはまず、テレーズのいる小屋へと向かうことを決めた。
先程の言葉を聞いて、グリンヒル市民ならともかく、ミューズ兵たちなら、喜んでテレーズを差し出すだろう。

今のグリンヒルに、テレーズを置いていくわけにはいかなかった。


―――しかし。






「私はもう、戦いたくありません・・・」






テレーズが言った言葉は、フェイに衝撃を与えた。

小屋から出てきたテレーズは、自分が死ぬことによってこの戦いが終わるのなら・・・、と言って、王国兵の前に姿を現した。
そんなテレーズを王国軍は捕らえようとした。

フェイ達はそれを止めようとした。けれど、テレーズの意志は固く、フェイの言葉には全く耳を貸そうとしない。




「市民はお互いの腹を探り合い、疑い合うようになるでしょう。私は、そんなことは、もうたくさんなのです。この街から、このグリンヒルから心さえも失われてしまうと言うのなら、私はどうなっても構わない。この街のためになるのなら・・・」

「それは違います!!」




それを止めたのは、一人の女生徒だった。

息を切らし、金の巻き毛を乱し、その少女はテレーズの目の前まで来ると、テレーズの瞳を真っ直ぐに見つめ、怒鳴りつけた。




「貴方が捕まっちゃ、駄目です!貴方が王国軍に捕らえられて、みんなが喜ぶと思っているんですか?貴方が捕まれば、この街から王国軍が去るとでも言うんですか?」




その言葉に誘われるように、市民達は王国軍を押しのけ、テレーズの前に集まる。
ミューズ兵たちは、自分が何をしようとしていたかを考え、恥じる。

女生徒の言葉ひとつに、周りの市民や兵達の雰囲気が、自分の周りの状況が、変わってきてしまったことに慌てたのは、王国軍の方だった。

そんなことなど全く気にせず、女生徒は続ける。






「テレーズ様、みんなが貴女を信じて戦ったように、貴女もみんなを信じてください!」

「ニナ・・・」






その言葉に、周りの市民や兵たちが深く頷くのを、フェイは見逃さなかった。

女生徒――ニナの言葉は、周りの市民達に勇気を与えた。

王国軍が側にいるというのに、一人の男は、そんなことを全く気にもせずに声をあげた。




「テレーズ様!諦めないでください!!この街の市長は、貴女しかいないんです!早く逃げてください!!」




それに驚いたのは王国軍兵だ。
下手をしたら王国軍兵に殺されると解っているというのに、この男はそんなことを全く気にもしていないかのように声をあげた。
それは王国軍兵の怒りに触れた。
しかし、この男の声に反対する市民もミューズ兵もいなかった。




「そうだ!そしていつか帰ってきて、平和な街を作ってくれ!」

「貴女は我々ミューズ兵を受け入れてくれた!俺達にも手助けをさせてくれ。貴女の盾にならせてくれ!!」




市民どころか、ミューズ兵さえも声をあげた。
それはフェイ達にとっても予想外だった。




―――テレーズ様、私たちは貴女を信じて待っています。



それが誰の言葉かまでは解らない。一人の男があげた声だったかも知れないし、複数の人があげた声だったかも知れない。けれどそんなことはどうでも良かった。
その言葉は、それまで頑なにフェイの言葉を聞こうとしなかったテレーズの心を揺るがせた。
死の覚悟までしていたテレーズだったが、こんなに沢山の声を聞いて、その身を『この街のためなら・・・』と捧げることができるはずがない。




「みんな、ありがとう・・・。
皆さん、私は約束します!必ずこのグリンヒルを取り戻し、再びこの足でこの地を踏みしめ、この肌で風を感じ、この唇でこの街の名を呼ぶことを!!それまで待っていてください!!」




その瞳には既に、迷いなんてなかった。






+ + + + +






隠してあった道を辿る。
今度の道案内はニナだった。
その後にはジンが続き、フェイ達がテレーズを守るかのようにして駆けていく。
テレーズの目の前にいるのはフェイであり、横を守るのはナナミとアイリだ。そして後ろをシンが守っている。
しかし、シンは途中で王国軍兵に見つかってしまったとき、足止めとしてその場に残ってしまい、今は此処にいない。その為、テレーズの後ろを護るのは、一番後ろにいたイースだった。


突然森を駆け抜けていこうとした足を止めたのは、フェイだった。
その次に止まったナナミはフェイの視線の先を見つめて、フェイと同じように足を止め、言葉を失った。
フェイの側にいたピリカはその小さな顔を涙で濡らした。

その様子に、全員が足を止め、目の前に立ちふさがる少年を見つめる。


金の長い髪を首の後ろで一括りにしている。
ハイランドの国色とも言える白の上着を身に纏い、凛と立っているその姿は、先程も目にした姿だった。




「・・・ジョウイ」

「フェイ、ナナミ、ピリカ・・・」




ジョウイが口を開いたのとほぼ同時で、ピリカがジョウイに駆け寄った。
けれど、それをフェイ達は止めようと駆け出したりしなかった。そうする前に、ジョウイが声を荒げたからだ。




「駄目だ!来るな!!」




その声に、ピリカは思わず身を固める。
そしてその場に立ちすくむと、嗚咽をあげる。
そんなピリカの横に立ったナナミは、ピリカを優しく抱き留める。それと同時に、ピリカは我慢していたものが切れてしまったかのように声を上げて泣き出した。
そんなピリカの姿にいたたまれなくなったのか、ジョウイが苦しそうに視線を落とす。




「・・・ジョウイ、どうして・・・」




フェイが苦しそうに呟く。
その声はジョウイの耳に届いたのか、ジョウイは顔を上げると、真っ直ぐにフェイの瞳を見つめた。
その瞳はとても優しく、フェイとナナミにとっては懐かしいものであった。




「フェイ、久しぶりだね・・・」

「ジョウイ・・・」

「ミューズで僕たちは別れ、それぞれの道へ進んだ。僕はハイランド、きみは同盟軍へ。
けど、フェイ・・・君に忠告しておく」




そう言いきった途端、ジョウイの瞳が鋭くなる。
その真摯な視線を受けて、思わずフェイは竦んでしまいそうになる体を叱咤し、真っ直ぐにジョウイを見つめ返す。
それと同じように、ピリカを抱きしめたまま、ナナミがジョウイを見つめる。
ナナミの辛そうな瞳に、ジョウイは右手を握りしめることで、自分の意思が流されそうになるのを留めた。




「新同盟軍のリーダーなんか辞めて、今すぐどこかへ逃げるんだ」




その言葉に、フェイは言葉を失う。
周りにいたフリックやアイリも目を見開き、ジョウイを見つめる。
フェイはとまどいを隠せないまま、立ちすくむ。後ろでナナミもピリカも動揺しているのが気配でわかったが、そんなことにかまっていられる余裕など、今のフェイにはなかった。




「どうして・・・」

「今君がしていることは、無駄に戦争を長引かせるだけなんだ」

「そんなこと・・・!」

「約束する。ハイランドも都市同盟も絶対にルカの好きにはさせない・・・だから・・・」




ジョウイの瞳に、もう冷たさも鋭さもなかった。
どこか懇願するように言うジョウイの言葉に、フェイの心は揺れ動く。

今のフェイの頭の中には、都市同盟という言葉もハイランドという言葉もなかった。ただ、目の前にいるジョウイが自分に向けてくる辛そうな瞳だけがフェイの心を揺るがす。

フェイがジョウイに返事を返すのをためらっているとき、フェイの横を誰かが通り過ぎていった。

その姿を見て、ジョウイは瞠目する。息を飲み、背を流せていく冷たい汗を感じながら、それでも目の前にいる少年から目が離せなかった。









「ジョウイ、それはルカに対する裏切りだと思って良いね?」









その声はとても落ち着いた声。高くもなく低くもないその声は、どこか冷たさを含んでいる。
そしてジョウイを真っ直ぐに見つめる青灰色の瞳は、とても鋭く、そして強い。

フェイより少し前に出たその背中を見て、この場にいた全員が驚いたことだろう。




「・・・イース、さん・・・?」




それはとても、フェイ達が見てきた『大人しい』少年の姿ではなかった。
『柔らかく、暖かく、優しい』と出会った頃に感じた雰囲気は、今や『鋭く、冷たく、恐ろしい』ものに変わっていた。
背中しか見つめていないはずなのに、フェイの背中を、冷たい物が通っていくのを感じる。


そんなイースの姿を見たことのあるルックやフリックは、以前より更に鋭さを増したその空気に、身を強ばらせた。




「どうして、貴方が・・・っ!」

「・・・あれ?ルカから聞いてない?僕が此処にいるって事」

「・・・!?」

「ルカが言うはず無いか。完全に信用している人にしか、彼は全て話そうとはしないからね」

「なら、どうして名乗り出てくれなかったんですか・・・?」

「君が司令官だって事は知っていたよ。『だから』言わなかった」




そう言って一歩近づいたイースに、ジョウイは思わず後ずさる。

イースの表情は、決して怒っている物ではない。むしろ笑っていた。けれど、イースを取り囲む雰囲気は未だ鋭さを持っている。
視線で人を傷つけることが出来るのならば、今ジョウイは血だらけになっていただろう。




「憶えておいて」




そうすれ違いざまに囁かれて、ジョウイは自分の体が凍り付いてしまったかのような感覚に陥った。
そんなジョウイに、イースはクス、と小さく笑う。








「今の僕が従うのはルカだけ。今の彼が、僕にとっての『望み』だから―――――









そう言ってイースは振り返る。もはや今のイースの瞳に、ジョウイは映っていなかった。
イースの周りの空気がいつものように柔らかくなったとき、フェイ達は開放感を憶えた。
そして自分たちがイースの顔を、瞳を見ていないというのに、ジョウイと同じように体を強ばらせていたことを知る。

そんな彼らに、イースはいつものように柔らかく微笑む。




「さぁ行こうか。早くしないと王国軍に捕らえられちゃうからね」






+ + + + +






その後、ゆっくりと歩き出したイースにつられてフェイ達も歩き出す。
まだどこかぼうっとしている全員の中で、ルックは一人、イースの背中を見つめていた。

一番最初にイースに声をかけることが出来たのは、フェイだった。




「イースさん、貴方は・・・」

「『今』は君たちの『敵』になるかもしれないね」

「・・・!!」

「イース!?」

「嘘でしょ!?」

「そんな、だって貴方は・・・」




はっきりと返ってきたイースの言葉に、フェイは言葉を失い、ジンとニナは驚き、テレーズは戸惑いを隠せずにいた。
その後ろにいたナナミも、フェイと同じく吃驚して声も出ないようだった。

その言葉に眉を顰めたのはルックだった。




「ルカに従っているって言っても、殆ど自分の意思で動いてる。それにニナ、僕は君に言ったはずだよ?『ニナの信用を得ようとしてやったことかも知れないのに?』って」

―――!!」

「でも、イースはテレーズ様を護ってくれたじゃないか!この街を護ってくれたじゃないか!!」

「結果的にはそうなるね。僕だって人が死んでいくのを見たくはないからそうしただけ。ルカには『殺せ』とも『破壊しろ』とも言われなかったし。・・・元々言われたとしてもそれを実行する気はなかったけど」




イースの言葉に、ジンが大声を張り上げて否定する。
けれど、それはイース自身の言葉で打ち破られてしまった。

イースの言葉に、ニナはショックを受けたのか、その大きな瞳にはうっすらと涙が溜まっていたが、それに気付く者はいなかった。
フリックはこの三年間であまりにも変わってしまったイース――ティル――を見て悔しさのあまり唇をかむ。




――でも!!」

「もう出口が見えてきたね」




更に言い返そうとして口を開いたジンだったが、漸く森の出口をみつけたイースによって言葉を遮られてしまう。




森の出口に立って、皆が皆イースに視線を向ける。
それは戸惑いであり、悲しみであり、驚きであり、怒りであった。
そんな視線を一身に受けながらも、イースはそんなことは道でもないことのように笑みを浮かべる。




「僕に出来ることは此処まで。次に会うときは敵かもしれないね」




言っていることと全くかみ合わないその笑顔。
けれど、そんなイースに誰も何も言えなかった。
言いたいことはいっぱいあった。けれど、それが上手く言葉にすることが出来なかったのだ。


早くしないと、というイースに、皆が後ろ髪を引かれながら走り出す。

最後までイースに視線を向けていたのはフリックだった。
その反対に、初めから視線をイースに向けようとしなかったのはルックだった。

けれど、彼はフェイ達について走っていこうとはせず、その場に留まった。




「・・・・・・置いてかれるよ」

「別に。帰る場所は解ってるから問題ない」

「・・・フェイの護衛は?」

「必要ないだろ。アレも一応軍主だ。自分の身ぐらい守れなくちゃ話にならない」

「・・・自分の軍主を『アレ』扱いするのは――

「ティル」

――!!」




イース――ティルの言葉をルックが強い口調で遮る。
それと同時に、ルックはそれまでそらしていた視線をティルに向ける。
真っ直ぐ曇りのない碧い瞳に見つめられて、今度はティルが視線をそらした。

見てはいけない気がした。
見つめていたら、何でもルックに答えてしまう予感がした。

この時点で、全てをルックに話すわけにはいかないのだから。




「君はどうして、ルカの・・・ハイランド側に行ったのさ」




―――『星』が集まっていることは知っていただろう?
と言外に尋ねられて、ティルは一瞬言葉を失う。

確かに、『星』が集まっていることは知っていた。
以前自分も『星』だったのだ。そのぐらい解るし、それが何を示しているのかも解る。

けれど、そんなことはティルにはどうでも良かった。

けれど、ルックに正直に言うのは憚られた。
だからティルは差し障りのない適切な言葉を探す。




「・・・言ったはずだよ。ルカは僕の『望み』だって・・・」

「それが君の『護りたいもの』なのかい?」




その言葉に、ティルは昨日自分が言った言葉を思い出す。




―――今の君たちにテレーズを同盟軍に引き入れたい理由が、目的があるのと同じように、
   今の僕の行動にも理由があり、――目的がある。

―――・・・その目的って、何なのさ・・・

―――・・・・・・それは言えない。―――それが僕の、護りたいものだから―――





ああ、確かそんなことも言ったな、とティルは思う。
ルックの言うとおり、ティルの『望み』は『護りたいもの』である。
だからティルはその事をあまり深く考えずに、頷く。




「・・・そう、だけど・・・?」

「・・・ふうん・・・?」

「・・・何・・・?」




ルックの瞳が細められる。
ティルはそこで今自分が何か悪いことでも言ってしまったかと考える。
けれど、いくら考えを巡らせても、それに該当するものはなかった。






「そう、三年前の返事がそれとは、思わなかったよ」






その言葉に、ティルは三年前を思い出す。
ルックが言っている『三年前』がいつなのかティルには解っていた。
それはティルにとって忘れない出来事であり、ルックとの約束だったからだ。




―――約束、しよう。

―――『約束』?

―――そう。いつになるか解らないけど、いつかまた会えると思う。
   その時にはきっと『答え』もできているから。





そう、ティルはっきり答えたのだ。
次にあったときに『答え』を言うと。




―――――好きだよ、と。




そう言ってくれた、彼――ルックに。

ルックの言っている『返事』とは、『答え』の事だろう。

そう思い当たって、ティルは慌てる。
それは当たり前のことだった。だってティルはまだ『答え』を言ってはいない。
今の流れからして、ルックは勘違いしたのだろう。

ティルの『護りたいもの』はルカだと。




「ルッ―――




けれど、それは言葉にならなかった。

ティルの言葉はルックの口の中で音になることなく吸われてしまったから。


ティルは目を見開いて目の前にある整った顔立ちを見つめる。

それは思ったよりも長く続いて――実際は短かったのかもしれないが――ティルは息が苦しくなって、瞳を閉じ、ルックの胸を両手で押しやる。
しかし、非力だったはずのルックは、ティルの後頭部と腰に回した手に更に力を込め、離れようとはしない。




漸く唇が離れると同時に、ティルが深く息を吸おうと唇を少し開いたところで、またルックのそれが重なる。


ティルはくらくらする頭の中で、自分の口の中を動き回る物が何かを考えた。
けれど、それが自分の舌に絡まってくると、そんなことも考えられないほど頭の中が真っ白になった。
いつの間にかルックの胸を突き放そうとしていた手はルックの法衣を握りしめていた。

顔がとても熱く感じて。
ルックを睨みつけようと開いた瞳に映った世界は何故か滲んでいて。




どうしてこんなにも頭がくらくらするのか。

どうしてこんなにも顔が熱いのか。

どうしてこんなにも視界が滲んでいるのだろうか。


どうしてこんなにも―――胸が熱いんだろうか。




その答えを、ティルは見つけることが出来なかった。




『それ』が舌だったと気が付いたのは、唇が離れてからだった。
自分の唇を『それ』が舐めあげたのを感じて、漸くティルは理解したのだ。
そして理解したと同時に、ティルの体から全身の力が抜けて、草の上に座り込む。
浅い呼吸を繰り返すティルは、その潤んだ瞳をルックに向ける。

ティルがそんな状態だというのに、見上げられたルックは全く息も乱さず、平然と立っていた。




「・・・っ、は・・・・・・る・・・、く・・・?」




顔を真っ赤に染め、潤んだ瞳を向けてくるティルに、ルックは口元を緩めた。

こんなティルの姿を、見た者はいるだろうか。否、いないだろう。
そんな優越感に、少しだけ浸る。









「絶対に、渡さないから―――









風を纏い、ルックは姿を消した。
一瞬強く吹いた風は、しかしルックの言葉を消すこともなく、しっかりとティルの耳に届けていた。

その言葉は、宣戦布告だったのだろうか。
今ではそれを確かめる術もない。

ティルは自分の胸を打つ鼓動が早くなっているのを感じた。

それは息が苦しかったから早くなったのではないことを、ティルは知っていた。


草の上に座り込んだティルは、自分の胸に手を当てて、瞳を閉じた。




夢を見た。
それが怖くて、胸の中に芽生え始めた想いを消してしまおうかと思った。

だから今まで無視してきた。
それが現実になるのが怖かったから、その想いを否定してきた。


―――けれど。




「・・・認めるよ」




目の前の彼はもういない。
その言葉を伝えるべき人は此処にはいないけれど。




「認める」




風が吹く。
その風がこの言葉を彼に届けないことをティルは願う。
だって、伝えるときはちゃんと向き合って、素直に伝えたいから。






「君が―――――好きだよ」






哀しかった。
けれど、嬉しかった。

今の君の想いは本物だと信じるから。
それだけで幸せになれたから。


けれど、出来ることなら。


どうか、その瞳を他の人には向けないで

今の想いのまま、僕を見ていてほしい・・・











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【notice】・・・気付く・認める



* * * * * * * 後書き * * * * * * *




難産でした・・・!!というか長すぎましたね。
実は後一話足す予定だったんですが、キリが悪いので此処で切りました。
書きたいことが多すぎて、上手く纏まらないとはまさにこのこと、と実感しました・・・。書きたいことを上手く書こうとしたのに、どんどん内容が薄くなってしまっている気がします・・・。
登場人物が多すぎですね・・・。これが一番の問題点。

ティル坊の二面性(?)を出したくて頑張ったんですが、途中で両方とも性格が変わってしまったんじゃないかと不安です。

もちろん書きたかったのはルックとの絡み。
最初の出会いやら、小屋前での出来事やら、ラストシーンやら。
タイトルをnoticeにしたのは結構前だったんですが、偶然最後の(「認める」と坊ちゃんが言うシーン)と一致して吃驚。

矛盾点が多く、色々つっこみどころはあるでしょうが見逃してください・・・。