森の中を颯爽と駆けていくその姿は。
ティルはバナーの村からトランへと続く森の中を、常人では追いつくどころか、追いかけることすら出来ない速さで駆け抜けていく。
そのティルの後を追うのは、この中で一番足の速く、この森のことを詳しく知っているサスケを先頭とし、フェイ、ナナミ、フッチ、シーナ、そして後ろを護ると言ったカミューであった。
サスケは自分と同じくらい――否、それよりも僅かに速いスピードで駆けていくティルに、驚きを隠せない。
サスケが、自分たちがティルに追いつけないことに驚いているのは、フェイも同じだった。
フェイは同盟軍軍主。同い年の少年達と比べてみると、いくらかしっかりとした体つきではあるが、大人が相手となると、その体では力負けしてしまう。だからいつも速さを活かし、軍を相手に戦ってきた。
それなのに、目の前を駆けていく少年はそんなフェイよりも速いスピードで森を駆けていく。
それも、ただ駆けていくだけではなく、襲いかかってくるモンスターを相手にしながら、だった。
襲いかかってくるモンスターに、黒塗りの棍を振り下ろす。
その速さはフェイのそれを上回っている。
その一撃にどれだけの力が加わっているのか傍目では解らないが、大抵はその一撃だけで立ち上がることすら不可能になっている。
フェイはそんなモンスターをちら、と通り過ぎる際に見た。
フェイ達の道の妨げにならないよう、道の端に避けられたモンスター。フェイもそのモンスターと戦ったことはある。
グレッグミンスターへと進むにはこの森を通っていかなければならない。トランと協定を結んだ同盟軍の代表として、フェイは何度かこの道を通ったことがある。その際にこのモンスター達と戦ったのだ。
けれど、そのモンスターを決して弱いとは思えなかった。
いつも信頼できる仲間を連れてこの森を進んだが、それでも楽な戦いとは言えなかった。それどころか、囲まれてしまい、苦戦したことだってあった。
それなのにこの少年は。
赤い胴着が舞う。
長い漆黒の髪が流れる。
それと同時に若草色のバンダナが揺れる。
真白な包帯を巻かれた右手には、黒塗りの棍。
大きく踏み込む。体が少しだけ宙を舞う。棍が振られる。
横一線に振られたそれは、モンスター『サムライ』の緋色の鎧の間に入り込む。
それと同時にサムライは体を不自然に反らせ、森の木々の中に突っ込んでしまう。
―――ただそれだけ。
もしこの一撃が鎧に当たっていたとしても、鎧は粉々に砕け散ってしまったことだろう。
勿論、ティルはそんなことはしない。確実に一撃で倒せる急所を狙う。そしてそれが外れることはない。
その一連の動作に、フェイは思わず息を飲む。
そしてサムライからティルに視線を戻すと、ティルはまた道をどんどん進んでいく。
一瞬だけ、ティルがちら、と後ろを振り向く。
それはフェイ達がちゃんと着いてきているかの確認だけだったらしく、足を止めることもなく、また直ぐに前に向き直ってしまった。
けれど、その一瞬だけ見えたティルの瞳に、フェイはほっと息を漏らした。
ティルの瞳は、冷たい物でも、鋭い物でもなかった。
深い紫の瞳は、未だ厳しさを感じさせるものの、『イース』の物とよく似ていた。
「―――変わら、ない・・・か・・・」
ぽつり、と呟かれた声がフェイの耳元に届く。
その声にフェイが後ろを振り向くと、直ぐ後ろにフッチが寂しそうに瞳を細めて、しかしその琥珀の瞳は真っ直ぐにティルの背中を見つめていた。
「・・・?フッチ君、どうしたの?」
フェイの隣を走っていたナナミが、心配そうにフッチに声を掛ける。フェイは言葉にはしなかったが、寂しそうなフッチの声を聞いて心配そうな瞳でフッチを見る。
けれど、フッチは二人に答えることはなく、小さく首を横に振っただけだった。
そんなフッチの隣に、シーナが来る。その表情は珍しく真剣なものだった。
「・・・何を期待してたのか知らねぇけど、アイツが『変わる』はずねぇだろ」
「・・・シーナ」
「変わんねぇよ。アイツも、アイツと俺たちの間にあるものも。それは仕方ねぇ事だろ」
「・・・っシーナ、」
「所詮、アイツは―――」
「シーナッ!!」
シーナの言葉をかき消すかのように、珍しくフッチが声を荒げる。
その事にフェイ達は驚き、思わず足を止めそうになる。
けれど、フッチもシーナも足を止めず、真っ直ぐ前を――ティルの背中を見つめたまま駆けていくのを見て、慌てて止めかけた足をまた踏み出す。
「・・・シーナは、」
「・・・・・・・・・」
「まだ、『あの方』が嫌いなの?」
「・・・・・・ああ、嫌いだ」
少しだけ躊躇って、けれど、はっきりとしたその声に、フッチはまた寂しそうに瞳を伏せる。
顔を上げれば、また一体、モンスターを倒しているところだった。
その行動に、躊躇いなど無い。ただ、目的のために一直線に進んでいるだけだ。
一瞬だけ見えた黒い棍を持つ右手には、きつく白い包帯が巻かれている。
その下にある物を、フッチもシーナも知っている。
『所詮、アイツは』
先程フッチが遮ったシーナの台詞。
それは実際には声に出されることはなかった。だからフェイ達にはシーナが何を言おうとしたのか解らなかっただろう。
けれど、フッチは知っていた。その言葉の先で、何を言おうとしていたのかを。
そして、おそらくそのシーナの言葉を、離れた先にいるティルも聞いていたことを。
ティルの耳は良い。だから聞こえていたはずだ。
ティルの頭は良い。だから憶えていたはずだ。
シーナの、その先にある言葉を。
所詮、アイツは―――
「―――『化け物』なんだよ、か・・・」
ポツ、とティルは零す。その言葉を聞く者はいない。
ティルはほんの少しだけ眉根を寄せて、自嘲する。
それはフッチの声に消されてしまったシーナの言葉。
四年前、何度も聞いた言葉。
「・・・『化け物』だって」
また小さく零す。ティルの周りにあるのは木々だけで、誰も聞く者はいない。
けれど。
<・・・・・・ごめん・・・>
そう零す声があった。
それはティルの頭に語りかけてくるもので、実際に耳から聞こえてきたわけではない。
だから、その声はティル以外の誰も知らない。
「良いよ、君の所為じゃない」
<・・・でも、貴方が嫌われる理由はないのに・・・!>
「良いんだよ。これからのことを考えると嫌われていた方が都合が良いのかもしれないし・・・」
<・・・・・・・・・>
「悲観的になっている訳じゃないけど、恨まれるのには慣れてる。罵詈雑言を浴びせられるのにもね。今更何を言われたって大して気にしない。
この力を得たことだって、今では感謝してるんだよ」
そう言って棍を左から右に薙ぎ払う。
『サムライ』と同じように『トラ』が棍とぶつかり、その大きな体を太い木の幹に打ち付ける。
その姿を、ティルは冷たい瞳で見つめていた。
そして足を止め、フェイ達が追いつくのを待つ。
「・・・嫌われた方が良いんだ、僕は・・・」
その言葉に、『声』は一度黙り込む。
困っているような、今にも泣いてしまいそうな、けれど必死に何かを伝えようとして。
それでもティルになんと伝えたらいいのか解らなくて戸惑っているようだった。
漸く出した答えは。
<―――・・・『彼』に嫌われても、良いの・・・?>
返ってきたのは、訴えかけるように必死な声。
その言葉に、今度はティルが黙り込んだ。
そんな自分自身に、未だ躊躇っているのかと、どこか呆れる。
「・・・・・・良いよ。それで、『変えられる』のなら―――」
ティルの言葉に、もう『声』は返ってこなかった。
+ + + + +
「・・・イースさん、だよね・・・?」
フェイが漸くそう声を掛けられたのは、山賊を追い払った後だった。
フェイとティルの顔を見、怖じ気づいて逃げていった山賊。
フェイの顔を見て怖じ気づくのは解る。フェイは同盟軍軍主であり、つい先日は狂皇子――ルカを倒した者。
その肩書きを知らぬ者はいない。そしてその肩書きは山賊を脅すには充分な素材だった。
けれど、山賊はティルの顔をも見ていった。
何故、ティルに怖じ気づくのか、フェイには解らない。
『イース』と呼ばれたことで、ティルはまだ自分がフェイに本名を教えていないことに気が付いた。
「・・・僕は・・・『イース』だけど、
『イース』じゃないよ」
「え・・・?」
「グリンヒルでは『イース』って名乗ったけど、本当は『イース』じゃない」
「じゃあ・・・」
「とにかく、先に進むよ。『無駄話』に時間を割いている場合じゃない。コウ君が気になる」
『本名は?』と尋ねようとしたフェイに、ティルは背を向ける。
完全なる拒絶と、『無駄話』と言われたことに、フェイはショックを受けながらも、小さく頷き、駆けだしたティルを追って自分も走り始める。
そこから少し進んだ先に、コウはいた。
けれど、その顔は蒼白で、呼吸も浅い。
目を開ける気力も、言葉を発する余裕もないらしく、コウを抱えたナナミの服を掴むだけで精一杯のように見えた。
「コウ君!?大丈夫?しっかり!!」
「毒に犯されてる。これは・・・ただの毒消しじゃ効かない・・・」
「そんな!じゃあ、どうすれば・・・」
「忍の里に伝わる薬でも効きそうにないな。一刻も早く医者に・・・!?」
ナナミの言葉に、サスケがコウの様子を看ながら言う。その隣でコウの様子を看ていたティルは、不穏な気配に気付き、棍を握りしめる。
それと同時にサスケもその気配に気付き、言葉を詰まらせる。
「・・・来るよ」
そんなティルの一言と同時に、その場にいた全員が『何か』の気配に気付き、各々の武器を構える。
ナナミはコウをしっかりと抱きしめ、そのナナミとコウを庇うかのようにフェイが立つ。
そのフェイの横を騎士であるカミューが固める。
「ナナミはコウ君を!フッチは二人を頼む!シーナは水の紋章を持っていたよね?援護して!カミューさんは僕と一緒に・・・」
「解りました」
「うん!コウ君は任せといて!」
ガサ、と森の奥から音がして全員がそちらの方に集中する。
現れたのは、緑の巨体。
丸くうずくまっているその姿は、芋虫そのもの。
ワーム、と呼ばれるののモンスターは、以前フェイ達が倒したはずだった。
「な、何で・・・!?」
「こいつは、以前俺たちが倒したはずだろ・・・!?」
とどめを刺したはずのフェイと、その場にいてワームが倒された瞬間を実際に目にしたシーナは驚きを隠せず、一度固めた構えを解いてしまう。
そんな二人を護るかのように、カミューが前に進み出る。
けれど、カミューが更に前に出ようとした瞬間、カミューの足下に雷が落とされる。
それが、戦闘開始の合図だった。
カミューは自身の右手に宿る烈火の紋章と騎士の剣技によって、ワームの硬い皮膚を傷つけていく。
そのカミューが作り出した隙をついて、フェイがトンファーで重い一撃を与える。
フッチは土の紋章でナナミやコウの守りを固める。
ナナミはしっかりとコウを抱きしめながらも、フェイの姿を心配そうに見つめていた。
シーナはカミューとフェイが傷つくと同時にその傷を癒していく。
その癒しの水の恩恵の中にティルが入ることはなかった。
傷一つ負うことのないティルは素早い動きでワームの懐にはいると、硬い外皮ではなく、幾分柔らかい腹の辺りを狙って攻撃を繰り出す。
けれど、相手が反撃をする前に、側から離れる。
ワーム自慢の雷も、ティルの素早い動きにはついて行けないらしく、ティルに傷一つつけることすらかなわなかった。
カミューが生み出した緋色の炎によってワームが咆哮を上げる。
そして出来た隙をついて、フェイがトンファーでその巨体を撃つ。
そしてフェイが撃ったその位置にティルの攻撃が確実に決まる。
大きな土埃を上げて、その巨体が地に落ちる。
ぴくりとも動かないその姿に、フェイが「今度こそ」と安堵の息をついた。
「・・・・・・まだ、終わってない」
「え・・・?」
いつの間にか隣にいたティルの言葉に、フェイが少し驚いた。
―――その瞬間。
ピシッ・・・!!
大きな音を立てて、ワームの背中に亀裂が走る。
傷が少し開いたのかもしれない。硬い外皮に罅が入っただけ。
そう考えてしまうほどフェイ達も馬鹿ではない。
ティルが見つけた弱点は腹。それに気付いたフェイ達は集中的に腹の部分を狙った。
だから、背中に罅などはいるはずがないのだ。
ぶわっと風が強く吹いた。それと同時に、ワームの背中から巨大な虫が羽を大きく広げて、生まれ出る。
グレイモスだ。
「・・・芋虫の次は蛾かよ・・・」
蛹は無視かよ。
そう言うシーナの声を遮るかのように、もう一度風が彼らを取り囲む。
ただ、先程の風と違ったのは、その風の中に何かが混ざっていることだった。
ティルはそれに気付くと、声を張り上げた。
「・・・っ吸うな!!毒だ!」
それを耳にして、それぞれが慌てて口元を塞いだが、時既に遅し。
既に幾らか吸ってしまったらしく、カミューとシーナは咳き込みながら片膝を着く。
唯一の救いは、ティルの言葉があったためか、大量に吸わなくて済んだことだろう。もし大量に吸っていたらコウのように意識を保つことすら出来なかったかもしれない。
風上にいた所為か、フェイやフッチとナナミは無事なようだった。
フェイは座り込んでしまった二人に駆け寄り、右手に意識を傾ける。
この紋章ならば、この程度の毒くらいは中和できるかもしれない。そう考えて。
けれど、ティルはその右手を掴み、フェイの動きを止める。
「・・・!?離してください!早く、二人を・・・っ!」
「もし今治したとして、もう毒を吸わない可能性がないわけでもない。それに、この二人ならまだしも、コウは一刻も早く医者に見せる必要がある。まずは、アレを倒すことが先決だ」
そう言いながら、ティルは左手でフェイの右手を掴んだまま、口で器用に右手の包帯を外していく。
真白な包帯。その下にあるものを、フェイは知らない。
だからティルがそれを外していくのを、真剣な面持ちで見つめていた。
やがて、その手の甲に現れたものに、言葉を失う。
―――これは、・・・紋章・・・?
血のように紅いその文様。
形は死に神が鎌を持っているように見える。
闇の紋章に似ていると思った。
そしてその紋章が普通の紋章ではないことに気が付いた。
どちらかと言えば『自分に近い』ものであると。
「・・・悪いけど、僕は今自分の魔力を使うわけにはいかない。だから、君のを・・・借りるよ」
そう言ってフェイの右手に、ティルの右手が重ねられる。
初めに感じたのは、違和感。
自分の内が、いきなり自分のものでなくなってしまったかのような。そんな感覚。
次に感じたのは、渦。
自分の内をかき乱されるかのような不快感に、思わずフェイの口から呻き声がこぼれる。
そして、真っ暗な闇。
それを破るかのように、真っ白な光が暖かく包み込んでくれた気がした。
ゆっくりと目を開ければ、其処には既にグレイモスの姿はなくなっていた。
フェイの瞳に映ったのは、白い包帯をまた右手に巻き直しているティルの姿だった。
「・・・何が、」
「僕の紋章で、アレを倒した。君の紋章で君の仲間が回復した。それだけだよ」
フェイがポツ、と零した言葉に、ティルは包帯を巻く手を止めることもせずに言う。
『僕の紋章』といったティルの言葉が気になって慌ててティルの右手をのぞき込んだが、既にそれは包帯の下に隠れてしまっていた。
「君の紋章は『盾の紋章』だろう?僕の紋章に引きづられて出てきてしまったらしい。そのお陰で君の仲間も助かったようだ」
そのティルの言葉に、フェイがティルの視線の先を追うと、其処にはしっかりと自分の足で立っているシーナとカミューの姿があった。
フェイはその事に安心して二人に近づく。
「二人とも大丈夫?」
「ええ、私は大丈夫ですよ」
「・・・・・・・・・」
「・・・シーナ?」
シーナは近寄ってきたフェイの横を通り過ぎてティルの真っ正面で足を止める。
いつものシーナからは想像できないほどその瞳は冷たく、険しい。
けれど、ティルはそんなシーナの瞳を一瞥しただけでくるりと体の向きを変えてしまう。
そしてそのまま離れていこうとするティルの腕を、シーナが掴む。
「・・・・・・離してくれないか?」
「何故その紋章を使った」
「・・・・・・」
「倒す方法なら幾らでもあった。なのに何故その紋章を使った?」
「コウは一刻も早く医者に診せる必要があると言ったはずだが?」
「代わりに、此処にいる全員が死んだとしても、か?」
「・・・・・・・・・っ・・・」
ティルの腕を掴むシーナの手に、更に力が加わり、ティルは顔を顰める。
けれど、ティルはシーナの手を振り払おうとはしなかった。
出来なかった、と言うのも理由の一つだったが、それ以前にティルはそんな気すら起きなかったのだ。
シーナの怒りの原因はティルにある。そしてそれをティルは弁解しようとしない。
だから、それがせめてもの、ティルが出来ることの一つだったのだ。
「シーナ、それより・・・コウ君が」
「・・・・・・フェイの紋章も駄目か」
「グレッグミンスターにはリュウカンがいるだろう?急いで連れて行けば、きっと間に合う」
「・・・サスケの言うとおりだな。急いで森を抜けよう」
フェイの言葉で、シーナの手がティルの腕から離れていく。
ティルはまだ少し痛みの残る腕をさする。
顔を上げれば、走り出したフェイ達の姿が見えた。
一番後ろを走るのは先程までと同じように騎士であるカミュー。
その前をコウを抱えたシーナが走り、フェイとナナミが並んで走る。
一番前にいるのは、道案内役のサスケだった。
「・・・ティアスさん・・・」
「・・・行こう、フッチ」
心配そうに自分を見つめているフッチに、ティルが踵を返しながら声を掛ける。
その言葉にフッチは小さく頷いて、先に走り出したティルの背中を追いかける。
フェイを見つめていた紫の瞳。
初めて見たときは、これほどまでに明るい瞳があるのかと思った。
でも、いつの間にかその側にあった存在は消えてしまって。
とても哀しい彩になった。
とても寂しい彩(になった。
けれど、優しさは変わらなかった。
暖かさは変わらなかった。
それが、四年前、最後に見た彼の瞳の彩(だった。
そして、今、フッチの瞳に映った彩(。
あのときと、変わらないはずのその瞳は。
―――どうして、そんなに哀しい彩(をしているんですか・・・?
その問いかけに、答える声はない。