きっと、真実を知ってしまえば、貴方は必死に手を伸ばしてくる。


けれど、その先にいるのは僕じゃない。

その手を掴むのは、僕じゃない。

貴方を救えるのは、・・・僕じゃない。


それでも、ほんの少しでも、貴方を守りたい。




そのためなら―――僕は、どんなに傷ついても構わない。










M Y S E L F










その日の夜は、一睡も眠れなかった。
けれど、それを隣で寝息を立てている彼は知らないだろう。
教えるつもりだってない。だってこれは自業自得なのだから。

そんな彼を起こさないようにシーツに身を包んだままベッドから降りる。

ただそれだけの動作。それなのに躯が悲鳴を上げる。
けれど、声は上げない。そんなことをすれば彼を起こしてしまう。
ベッドから降りて、きちんと自分自身の足で立とうとして、その途端に走る痛みに、思わずしゃがみ込む。


別に初めての経験ではなかった。決して良い思い出でもなかったが。
むしろ憶えているのは恐怖だけ。

でも昨日は恐怖は感じなかった。それは自分自身が覚悟していたからかもしれないが、それだけではないと思う。

それでも、気持ち悪いものは気持ち悪いのだ。


痛みでベッドの側にしゃがみ込んだと同時に吐き気が襲ってきて、慌てて口元を抑える。
おそらく、顔色は真っ青だろう。目眩だってする。

もう一度立ち上がろうとして、また痛みが走る。けれど今度はしゃがみ込むことはなかった。
奥歯を噛みしめて、絶えず襲ってくる吐き気と共に耐えながら、ゆっくり、けれどしっかりと立ち上がる。

いつもは特に意識することもなかった一歩。けれど、その一歩ですら今は慎重に進む。

ぎゅっと身体に巻き付けているシーツを握る手に力が入る。
ベッドから少し離れて、未だベッドの中で眠る彼を確かめようと、顔だけで振り返る。


乱されたシーツ。
ベッドの側に放り出された服。
独特の匂い。


全てが昨日の光景を思い出させて、思わず身体を震わせる。




―――・・・大丈夫・・・?>




頭の中に響く心配そうな声に、小さく頷きを返す。

本当は全然大丈夫じゃない。
そういえたらどれだけ楽になれただろうか。
けれど、彼にそんなことを言ったところで、彼には何も出来ない。彼はそれをよく知っている。だからこそ何も出来ない自分を責める。それだけはさせたくなかった。


これは、―――自分自身で決めたことだから。


軽く口の中で呟くと、闇が揺らめいた。
それは次第に大きくなり、その細い身体を包み込んでしまうほどの大きさになると、まるで外套のようにその身体を包み込む。
そして闇がまるで水たまりのように波打った頃には、既にその姿は部屋から消えていた。




ゆっくりと目を開ければ、そこは昨日案内された部屋だった。
そこで漸くため息を吐き出し、ベッドに身を放る。

ベッドの上で身体を丸める。
痛みが走ったが、そんなことはあえて気にしなかった。
そのまま、瞳を閉じようとした。けれど、躯は悲鳴を上げるほど疲れているというのに、眠気は全く襲ってこなかった。
だからうっすらと目を緩く開いたまま闇を見つめる。

もう指一本動かす体力もなかった。
何かを考える気力もなかった。




―――・・・どうか、ご自愛ください・・・




家を出る際、最後の一人となってしまった家族に言われた言葉。
けれど、その時素直に頷けなかった。まともな返事は返せなかった。
頷くと嘘をつくことになる。否定すれば、彼女は決して家からだそうとしなかっただろう。

ただ、曖昧な笑みを返した。ただそれだけ。
長年のつきあいだった彼女は、おそらく解っていただろう。自分が無理をすることを。

最後に見た彼女は、辛そうな、苦しそうな瞳でこちらを見つめていた。




<・・・ティル、僕も、心配してるんだよ・・・>

「・・・・・・ん、・・・」

<僕や、クレオだけじゃない。イリスだって・・・>

「・・・・・・」

<そこまでして、『彼』を助けたい・・・?救いたいの・・・?>




そう言われて何故か、夢を思い出した。




懸命に手を伸ばしても、彼に届くことはない。
どんなに声を荒げても、彼には聞こえない。
必死でもがいても、彼を護れない。




不器用なやり方。報われない方法。
それで良いと、思ってしまった。思える相手だった。




「・・・僕には、そう言うやり方しかできないんだよ・・・」




―――だから、ごめん・・・

そう言ったティルの言葉に、『声』は何も返事を返さなかった。
・・・返せなかった。






+ + + + +






「駄目です」

「・・・どうしてさ」




どのくらいこのやりとりが続いたのだろうか。
既に何時間も二人は睨み合っているように思える。けれどおそらく実際は数分しか経っていないだろう。そう感じるのは、二人の間に感じるのもが酷く冷たい物のように感じる所為だろう。


短い休暇の期間を破ることなく戻ってきたフェイは、嬉しそうに顔を綻ばせていた。
元々年齢の所為もあるのか、親しみやすい雰囲気を持っているフェイの表情に、思わず見ている側も顔を綻ばせる。
そんなフェイは珍しく、自ら軍師であるシュウの部屋に行った。
そしてそれはそれは嬉しそうに言ったのである。




―――『トランの英雄』さんに会ったんだけど、同盟軍に誘っても良いよね?




そこでシュウは首を縦には振らなかった。
それが事の発端だった。




「言ったはずです。彼は以前ハイランドにいたという情報を耳にしております。スパイかもしれない人間を同盟軍にいれるわけにはいきません」

「イース・・・じゃない、ティルさんがスパイだって証拠がどこにあるのさ」

「グリンヒルに忍び込んでスパイ活動していたと聞いていますが?」

「でも、あのときは僕らを逃がしてくれたんだ」

「彼は狂皇子の側にいたとか。スパイでなくても貴方を油断させて首を、と考えているかもしれません」

「ティルさんはそんなことしない!」

「では聞きますが、その根拠はどこにあるのですか?」

「そ、それは・・・」




シュウの言葉に、フェイが口籠もる。

それほど長い間ティルと一緒にいたわけでもないフェイに、それ以上ティルを庇う言葉は見つからなかった。
だからフェイは自分よりももっと長くティルとつきあいのある人間に助けを求めた。




「フリック!フリックはティルさんのことを知ってるでしょう?」




その言葉に、会議室の壁により掛かって話を聞いていたフリックが顔を上げる。
その顔は1つの軍を導く将のように厳しい物であった。
けれどそれに気が付いたのは、その側にいたビクトールと真っ正面からフリックを見つめていた軍師だけであった。




「・・・同盟軍の人間として考えれば、ティルの存在は強力だと思う。仲間に出来ればトラン軍の士気は上がるし、ティル個人相当な力を持っているからな」

「ほら!」

「・・・ただ、俺個人としては引き入れたくはない」

「・・・ほう?」

「え?どうして・・・」

「・・・ティルは・・・」

「軍主ってモンがどれほど重いか、お前が知らねぇはずはねぇだろう?それに少しぐらいなら聞いたことがあるはずだ。解放軍軍主の話は」




言いたくなさそうなフリックの言葉を遮って、ビクトールが言う。
その顔はいつものふざけた顔ではなく、フリックと同様、厳しい物である。




「・・・アイツは解放軍戦争時代になくしたものが多すぎるんだ」




その一言はとても重々しく、フェイは思わず息を飲む。
机の上で握られた拳は、更に強く握られる。


聞いていたことはあった。知っていた。『トランの英雄』の噂が、良いものだけではないことを。


皇帝の悪政から民を解放してくれた英雄―――

けれど、その反面でとても酷い言葉も聞いた。


『冷酷人間』
『父親殺し』
殺戮を楽しむ『化け物』―――


あの人があまりにも綺麗に、優しく笑うから忘れていた。
その笑顔の下に、どれだけ傷があるのかと言うことを。


ビクトールの言葉にフェイが唇を噛みしめたその時、会議室の扉が開かれた。




「お邪魔するよ」




長く伸ばされた黒髪。それは若草色のバンダナで一括りにされている。
彼の躯を纏う赤い胴着は、彼をより一層美しく魅せる。
周りを見渡した紫の瞳に、誰もが言葉を失った。




「どうやら、僕のことで揉めているようだったからね―――




入ってきたのは今話題に上がっていた『トランの英雄』その人だった。






+ + + + +






まるで実験室のような部屋だった。

周りにはゴポ、と水音を立てる大きなカプセル型のもの。
その中に入っている水は緑色。おそらく何か特殊な薬でも入っているのだろう。

かつん、と靴音が響くその部屋は地下にあった。
大して広くもない部屋。その中にある灯りは、今ルックが持っているランプだけ。
それであちこち照らしながら、ゆっくりと歩いていく。


いきなり彼の師、レックナートに呼び出されたと思ったら、この様な場所に送られてしまった。
この場所に、囚われている少女がいるという。その子をレックナートの元に送るのが、レックナートの命令だった。


ゆっくりと歩を進めながらも、ルックはこみ上げてくる吐き気に堪えていた。
それはこの部屋に充満するにおいの所為でもあったが、それ以上にルックを苦しめている事実があった。

この部屋がどの国の物か、ルックは解っていた。
それは全て右手にある物が教えてくれる。

懐かしい、と。 ―――僕は全然懐かしくなんかない
二度とこんな所には戻ってきたくなかった、と。 ―――僕だって好きで戻ってきた訳じゃない

そんな訴えかけがあっても、ルックはしっかりとした足取りで前に進んでいく。

もうこの場所に来てしまったのなら、今更後戻りは出来ない。
なら、一刻も早く任務をすませるだけだと。
そう、考えたためである。
それに、今この国は同盟軍の敵国なのだ。見つかったらただでは済まない。



ふと。

何かに呼ばれた気がして、ルックは後ろを振り返った。
けれど、ルックの視線には誰も映らない。
気のせいだとまた前を振り向こうとして、その瞳に縮こまっている何かが見えた。


気づけたのは偶然だったのだろう。それは物陰に隠れ、影の中にその姿を隠していたのだ。
それに気づけたのは、それがランプの光を反射したからであった。

それにゆっくり近づくと、それが未だ幼い少女だったことが解った。
光を反射したのは、彼女の淡い金色の髪。

少女はルックに背を向けたまま、かたかたとその小さな肩を震わせていた。

ルックはその少女を出来るだけ怯えさせないように、その場にしゃがみ込み、少女の視線にあわせようとした。




「・・・ねぇ」




ルックの声に、少女はビクッと大きく肩を震わせたあと、ゆっくりとルックの方に振り返る。
そして初めて見た人に怯えてしまったのか、ルックの顔を見たまま後ずさりしようとした。しかし、彼女の後ろには既に大きなカプセル型の水槽がある。

ルックはそんな彼女の様子にため息をついてから、彼女の細い腕を掴む。




「君を、ここから出してあげようとしてるんだけど?」




そんなルックの瞳を、少女は漸く見た。
その瞳に何かを感じたのか、少女は黙ったままルックに近寄ってきた。
そしてルックの腕に抱きつく。




「君が、シンダル族の生き残りだね?」




その言葉に、少女は小さくこくんと頷きを返す。
ルックはその少女の頬についていた煤を親指で拭ってやる。




「じゃあ、・・・―――――っ!!!」




そして立ち上がった瞬間、その瞳に映った物に、思わず言葉を失う。

それは先程少女の逃げ道を塞いだもの。
それは巨大なカプセル型の水槽。

その中にあるのは、自分そっくりの顔。

その顔は半分しかなく、左の目玉は水の中でゆらゆらと揺れている。
その瞳は、真っ直ぐにルックだけを見つめている。




―――会いたかったよ、兄さん・・・



そして、歯茎の見えている口で、にたりと笑う。




「・・・っ―――ぁぁぁああああああああ!!!!」




気が付いたときには既にそこには何もなかった。
ルックの姿も、少女の姿も消え、あるのは砕け散ったガラスと、溢れ出た緑の液体。
そしてその液体の中からは数体の、血肉も持ったもの。
『完成体』ではなかったそれらは、既にただの『物』と化していた。






+ + + + +






それぞれから向けられる視線に、ティルは苦笑いを返す。




「貴方が、軍師ですね?」




シュウに視線を向けて、ティルはにっこりと微笑む。

ティルの言葉でその部屋にいた物達は我に返る。
フリックはそんなティルに近づこうとして、ビクトールに止められた。

シュウはティルの言葉を受け、ティルの躯を見つめる。

手に持っているのは黒塗りの棍。けれど、それは鍛え上げられた物。
一見少女のように見えるほど伸ばされた髪は美しく、白い肌に良く映える。
フェイと同じくらいの年齢に見えるその少年。けれど、何処か圧倒される雰囲気を持っている。




「・・・そうです。貴方が『トランの英雄』ティル殿ですか」

「・・・『トランの英雄』と言う言葉は余り好きではないけれど・・・、私がティルです」

「では、同盟軍に参加してくれるという話は・・・」

「本当です。そちらが承諾したら、の話ですけど」

「・・・承諾すると?」

「いえ、思ってません」




その言葉に、フェイは瞠目する。
知っていて、そんな話を持ちかけてきたのだろうかと、疑いの眼でティルを見つめる。




「あなた達が言う『トランの英雄』と言う名前が持つ威力は大きいでしょう。けれどそれ故に、トランの援軍達の心も揺れやすい。下手をしたらフェイではなく、僕を軍主に、という声も上がるでしょう。それは内部紛争になりかねない。だから貴方は私を参加させたくない。
それに以前、私はハイランドにいました。だから信用は出来ない。・・・違いますか?」




微笑んだまま、ティルは言う。
その言葉に、フェイはまたしても自分で言ったことを後悔してしまう。
ティルの言葉で漸く気付いた。自分がどれだけ危険なことを言ったのかと。


ティルの言ったとおり、『トランの英雄』の名前は大きい。
それはトランに限らず、この同盟軍領でも知らない者はいないほど。
『トランの英雄』は以前小規模だった解放軍を導き、帝国を倒した。今の同盟軍がハイランドを倒そうとしているのと同じように。
それがどれほど難しいことか、それは同盟領の人々は知っている。けれど、『トランの英雄』はそれを成功させたのだ。
田舎から、それもハイランド領の小さな村から出てきたフェイよりも、『トランの英雄』に導いて欲しいと言う者は少なくはないだろう。
それでもフェイをこれまで支えてきてくれた人たちは最後までフェイを支持してくれるだろう。
その双方がぶつかり合ったら、内紛になる。
ハイランドが手を下さずとも、自ら滅んでいってしまう。




「・・・・・・」

「ティル殿の仰るとおりです。ティル殿個人の力はどうであれ、『トランの英雄』の持つ力はこの軍にとってプラスどころマイナスに働きかねないのですよ、フェイ殿」




シュウの言葉に、全員の視線がフェイに集まる。
フェイはその視線に一瞬たじろぎ、そのまま考え込むように俯いてしまった。

頭の中が、こんがらがってしまっていた。
ティルの力を借りるべきではないと、シュウは言う。その理由はフェイもよくわかる。ちゃんと理解している。
それでも―――

フェイは不安そうに視線を上げる。その視線の先にいるのは、優しく微笑んだティルだった。
そんなフェイに、ティルは近づき、そっと訊ねる。




「今の『フェイ』の気持ちを聞かせて?軍主としてではなく、フェイ個人としての気持ちを」

「・・・僕、は―――




フェイはグリンヒルで初めてティルに会ったときのことを思い出す。


フェイを同盟軍軍主と知っていながら優しく接してくれたティル。
クラスに馴染めていなかったフェイ達にも、笑って接してくれた。
ルカの下にいながら、グリンヒルを救ってくれて。
テレーズの居場所を知っていながらも、殺さずにいて。それどころか、逃げる時は手助けをしてくれた。




「・・・僕は」




フェイはしっかりと顔を上げて、前を見据えた。
視線が集まっているのは今も変わらない。それでもフェイはもう躊躇ったりしなかった。

フェイの中で、答えは既に決まっていたのだから。



グレッグミンスターで、間違ったことをしようとしたフェイを、ティルは叱ってくれた。
過ちに気付いたあとは以前と同じように、優しく接してくれて。



『トランの英雄』だから、なんじゃない。
『解放軍を導いていたティルさん』だから、こそ。






「僕は、―――ティルさんの力を、借りたい」






その言葉に、ティルは一度だけ視線を落として、直ぐにフェイを見つめ返した。
シュウを見つめ返すその瞳は揺れることなく、シュウの返事を待っていた。
そんな瞳に見つめられて、シュウはため息をついた。




「・・・わかりました。貴方の決定に、私は従うだけです」

「シュウさん・・・」

「あ、でも先に言っておきますけど、私は戦争に参加するつもりはありませんから」




そんなティルの言葉に、またしても全員の視線が集まる。
そんな視線の中で、ティルはにっこりと微笑んでみせた。




「先程言ったように、内紛が起きてしまう可能性がありますから、フェイへの支持が揺るがないものとなるまでは、私は戦場には立ちません。一応、貴方の師でもあるマッシュから授かった知恵もありますし、フェイが私に求めているのは、『戦力』ではないでしょうから」

「ティルさん・・・」

「『剣』でも『盾』でもなく、あくまでも私は『支え』として、フェイの側にいます。フェイにはそう言う人が必要でしょう。貴方が私を不要だと感じたのなら、追い出してもかまいませんから」

「・・・解りました」




シュウの返事を受けて、ティルは柔らかく微笑む。
そしてそのままの笑顔で壁により掛かっている二人の青年の方に振り返る。
何の前触れもなくティルに振り向かれた二人は瞠目する。




「フリックにはあったけど・・・久しぶりだね」

「・・・ああ、そうだな」

「元気だったようだな、ティル」




話しかけられた二人の青年、フリックとビクトールは一度互いを見つめ合って、それからティルの笑顔につられて二人とも笑みを浮かべる。

そんな二人の会話を聞いて、フェイはフリック――はグリンヒルであったけれども――とビクトールは長い間ティルに会っていなかったことを思い出した。
シュウの側にいたアップルも、そんなティルを見つめて笑みを浮かべていた。




「それはお互い様、でしょ?ビクトールの心配なんてしなかったけど」

「ああ、こいつはいつも五月蝿いくらいだ」

「フリック!てめぇ・・・」

「それより、二人とも、僕に言うこと、ない?」

「え?」

「は?」




ティルの言葉に、フリックとビクトールは互いの顔を見合わせる。
そんな二人の視線の真ん中に黒塗りの棍がドンッ!と激しい音を立てて壁に突き刺さる。




「あんな風にいなくなって置いて、僕に言うことはないもないの?」




その言葉に、その場にいた全員が身体を強ばらせた。
そこで漸くフリックとビクトールは気付いた。
二人の視線の先にいるティルは微笑んでいる。
けれどその笑顔の下には激しい怒りがあることに。




「こ、これには、深〜い事情ってものが・・・」

「ティルっ!俺は悪くない!!全てこの熊が・・・」




二人が言い合いを始めようとしたその時、ティルが二人に近づいた。
二人は目を閉じてティルの制裁に身構える。

けれど、それはいつまで経っても来なかった。

ティルは二人の間に突き刺さっている棍を引き抜き、そのまま二人の前を通り過ぎる。




「・・・ティル?」




俯いたまま、黙ったままのティルに、フリックは不思議そうに声を上げる。

ティルはその声に、扉の前で足を止めた。
左手をドアノブにかけたまま、一度だけ顔を上げた。




―――僕だって、心配・・・したんだからね・・・?」




その表情に、もはや怒りなど感じられなかった。
むしろ感じたのは哀しみと寂しさ。


当たり前と言ってしまえば当たり前のことだった。
二人は崩れていく帝国の城の中、ティル達を逃がそうとして城に残って追ってくる兵達と戦ったのだ。

ティルが勝利宣言したあと、城が完全に崩れ去ってしまったあと、懸命に二人の姿を探したのだけれど、二人はそこから見つかることはなかった。

死んでしまったのではないかと。
崩れていく城の残骸に埋もれ、帝国と共に滅んでしまったのではないかと。
そう言う人は少なくはなかった。

それでもティルは二人を信じ続け、無事で暮らしていることを祈っていたのだ。


二人はそんなティルの瞳に、言葉を失う。
ティルはそんな二人に構うことなく、扉を開け、部屋をあとにする。

そして閉ざした扉の向こうで。




―――・・・馬鹿・・・」




そう、小さく呟いた。






+ + + + +






ティルはそのあと用意された部屋に案内され、一度その部屋に足を踏み入れたあと、直ぐに部屋を飛び出し、ある部屋に向かった。
未だよく知らない城の中。けれど、ティルは迷うことなくその部屋を目指していた。

先程感じた魔力の中に、ティルの持つものと似て非なる物を感じた。
いつもなら完全に隠しているそれ。けれど、今は微かにだがそれが漏れだしていた。


その部屋について、ティルはノックもせずに扉を開けた。

夕暮れだった空は、今や紫に染まり、何の灯りもついていないその部屋を照らしている。
ティルはそんな部屋の中を見回し、そしてあるところで視線を止めた。

ベッドの上に、何かいた。
先程からティルが感じている物は、それから漏れだしているようだ。

ベッドに近づき、ティルは瞠目する。


そのベッドにあるのは、見慣れた姿。
けれど、きつく目を閉じ、耳を押さえ、その肩を振るわす姿など、ティルは見たことはなかった。




「ルック・・・」




そこで漸くティルの存在に気づいたのか、ルックは顔を上げ、ティルを見つめる。
その瞳に、ティルは思わず一歩後ずさる。
けれど、ルックとの距離を取る前に、強い力で腕をつかまれ、ベッドの上に引きずり込まれた。

一瞬にして変わった視界に、ティルは現状がつかめなかった。
背中に柔らかい物を感じ、手首は軋むほどに痛みを訴えていた。
そこがベッドの上だと気付いたのは、自分の上にルックが覆い被さったときだった。

そして翡翠の瞳に、ティルは哀しそうな視線を向ける。


その瞳は、いつものルックの物ではなく、酷く感情的な物だった。


ティルはルックに捕まれていない方の手を伸ばし、その頬に触れた。




「大丈夫だよ、ルック。僕は、ここにいる君をちゃんと知っているから」




ティルの手に、涙が流れる。けれど、それはティルの物じゃない。
ティルの顔を直ぐ側に置かれたルックの手が、シーツを握りしめる。
その手が震えていることに、ティルは気付いていながら、気付かぬふりをした。

そしてこれ以上ないほど優しく微笑んで。









「君は―――――『人間』だよ」








そのままルックはティルにその激情をぶつけた。
ティルはそれを黙って受け入れた。


触れてくる手が、とても冷たかった。
けれど、その瞳の奥にあるのはとても熱いもの。

肌を這っていく舌に、思わず身を捩る。
けれど、ちゃんと受け入れてあげたくて、その背に手を回す。

熱くなっていく躯。
けれど、心はどんどん冷めていく。

上がってしまう声が恥ずかしくて唇を噛んだ。
けれど、それも出来なくなって。


何度も、名前を呼んだ。

決して、言葉が返ってくることはなかったけれど。


いつものルックとはまるで別人だった。
ずっと捕まれていた右手首は非力なルックの力とは思えないほど強く握られていて。
その手から逃れることすら出来なかった。

けれど、そんなことをされなくても、ルックから離れるつもりはなかった。
辛そうなルックの瞳を見たら、そんなことなど出来るはずがない。


自由な左手でルックの頬を伝っていく涙を何度も拭った。
どんなに痛くても、辛くても、その時だけは微笑んで。




一度だけ、自分からキスをした。




それは触れるだけの物だったけれど。
声に出して伝えられない分、気持ちを込めた。

―――ありがとう。
こんな僕を、好きになってくれて。

―――ごめんなさい。
そのルックの想いに、こんな風にしか応えてあげられなくて。



それから、―――――だいすき・・・






+ + + + +






その想いは、どのぐらい伝わっているんだろうか。

ティルはそんなことを考えながら、両腕で手を隠す。
目の奥が熱くなってくるのと同時に、鼻の奥が痛くなる。

下半身は未だ熱と痛みを持ったまま。
けれど、そんな痛みよりも胸の方が痛かった。




―――・・・ティル・・・?>

「・・・き、なんだ・・・」

<・・・ティル・・・・・・>

「好き、なんだよ・・・」

<・・・うん>

「好き、すき、すき・・・。でも、だから、僕は・・・―――




ティルはそれ以上言わなかった。


一筋。
たった一筋の雫が、ティルの頬を流れていった。


けれど、その涙の理由わけを知るものは誰もいない。









今の僕に出来ることは、何でもしてあげる。


どんなに辛いことでも

どんなに苦しいことでも

どんなに、哀しいことでも。


その涙を、拭ってあげること。

きっと、今はそれしかできないけれど




どうか、その手のぬくもりだけは、

僕が、側にいたことだけは、




―――――忘れないでください・・・











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【myself】・・・自分自身・自分自身で



* * * * * * * 後書き * * * * * * *




思っていたよりも長くなってしまいました・・・。
今回は色々と自分的にも突っ込みたいところが・・・。

まずルックから。
解った方、いるでしょうか。ルックが『真実』を知ってしまう話です。
少女とは勿論、あの人のこと。
きっと初めて知ったときの衝撃はすごく大きかったんじゃないだろうかと思って書きました。

ティル・・・は今回すごい目に遭ってます・・・。
でも、ストーリー上どうしても書かないわけにはいかなくて・・・。
書いてて、どう書こうか悩みながら書きました。さすがに描写は無理ですし・・・(汗
ただ、ティルの懸命さが伝わってくていればいいと思っております。

タイトルを考えるのに悩まされました。
色々と書くのが大変だった作品です・・・。
今回隠し文字は3ヵ所のハズです。

最後に。シュウとフリックとビクトールは書きにくい。・・・以上!!