誰かが傷つくのが嫌だから、自分が傷つけばいいと思った。

誰かを傷つけてしまうなら、自分が傷つけばいいと思った。


誰かに嫌われてしまうなら

誰かを裏切ってしまうなら


初めから、嫌われていればいいと思っていた。

最初から離れてしまえばいいと思っていた。




―――でも、本当は

側で、笑っていたかったのかもしれない










P L E A S E










グレッグミンスターで、ルックと別れたあと、ティルは書斎に籠もっていた。
その部屋に突如入ってきた魔の存在に、ティルはゆっくりと振り返る。
自分の持つ魔の波動と似ているそれは、ティルもよく知る人物のものだ。
その魔の波動の余波を受けて、カーテンが翻る。
ティルはそれを視界の端に入れながら、自分の目の前に現れた少年に笑みを浮かべる。




「わざわざ来てくれたんだね、イリス」

「ティル・・・」

「今丁度探そうと思っていた所なんだ。だからちょっと待ってて」




そう言ってイリスに背を向け、ティルは鍵を片手に小さな棚に向かう。
そんなティルの背中を見つめたまま、イリスは険しそうに顔を顰めたままだった。
ティルはその視線に気付きながら、それを無視したまま棚の戸に掛けられた鍵を開ける。

開かれた引き出しの中にあるのは、本ではなく、たくさんの紙。
けれど、それがどんなに大切なものであったのか、ティルは知っている。

ティルの記憶の中で、この引き出しが開けられたことがあるのは一度だけ。
あのときは確かテッドが来た日だった。
その引き出しから一枚抜き取られた書類は、テッドの手に渡された。今もおそらくテッドが暮らしていた家――おそらくそのままの状態だろう――にあるに違いない。

そんな書類の束を幾つか抜き出して、その中から必要であるものを探していく。
そして見つかったそれを持ち、他のものはもう一度引き出しの中にしまい込んで、また鍵を掛ける。

かちっ、と束になっている鍵がぶつかり合い音を立てる。

鍵を閉めた途端、ティルはその鍵がとても重いものに感じられた。
束になっているとはいえ、輪に掛けられている鍵は十にも満たない。いつもティルが持ち歩いている黒塗りの棍の何倍も軽い。
それなのにこんなにも重く感じられるのは、この鍵を使える者がティル一人になってしまったという事実を思い知らされたからだろうか。

ティルはその鍵を見つめてきつく握りしめる。
そのままイリスの方に向き直り、手にした数枚の書類を差し出す。




「これを、持って行って」

「・・・・・・」

「今君たちが使っている土地の権利書。必要かもしれないから、持って行って」




今回、ティルがグレッグミンスターに戻ってきたのは、これを取りに来るためだった。

今イリスが使っているのは宿ではなく、以前マクドール家が所有していた別荘の一つ。
宿だとどうしてもお金がかかってしまう。だから、とティルが貸したのである。

イリスはその書類を一度視線で追う。けれど、その書類を受け取る素振りは見せない。
ただ黙ったまま、ティルの瞳を見つめているだけだった。
ティルはそんなイリスの瞳が自分を責めているような気がして、肩をすくめ、書類を手にした手を下ろす。




「ティル」

「・・・何?」

「僕は、」

「『これを受け取るために来たんじゃない』って?」



そう言ってティルは自分の持っている、先程イリスに差し出した書類をちらりと視線で追う。
そんなティルに、イリスは黙ったままティルを見つめる。
否、見つめる、というよりはまるで睨みつけるかのような目をしていた。




「・・・・・・・・・」

「・・・解ってるよ」

「・・・ティル。君に『望み』があるように、僕にも『望み』がある」

「・・・・・・・・・」

「その為に僕は君に協力している。それは解っているよね」

「・・・・・・解ってる」

「僕の『望み』が何なのかも、知っているよね」

「・・・・・・・・・」




ティルはイリスの問いかけに答えなかった。
知らなかったわけではない。十分知っていたから、その気持ちがわかっていたから、けれどティルはそれに応えられないと解っていたからこそ、黙っていた。

ティルはイリスから視線をそらそうと俯き、右手を握りしめた。
そんなティルに、イリスは言葉を続ける。




「僕は、君たちに『僕と同じ思い』をして欲しくない」




そう言ってイリスが見つめるのは、ティルの右手。包帯の下に隠れてしまっているもの。
ティルはそんな視線を感じて、更に右手をきつく握りしめる。
そして右手を胸に引き寄せ、右手の甲を左手で包み込む。




「・・・・・・・・・知って、る」

「・・・ティルの気持ちが全くわからない訳じゃないよ。僕だって、きっとティルの立場だったら、同じ事をしていたと思うから・・・」

「・・・・・・」

「・・・ソウルイーターの波動を感じたとき、吃驚したよ。君の魔力じゃなかったから」

「・・・ごめん」

「謝らなくても良いよ。けど、もう少し僕たちに頼ってくれても良いんだからね?」

「・・・・・・・・・」

「ティルは隠し事が多すぎるんだ。心配するこっちの身にもなってよ?」




そう言ってイリスは優しく微笑む。ティルはそんなイリスに小さく頷き返す。
イリスはティルが頷くのをしっかり見て、安堵の息を漏らしてから、ティルの手から書類を受け取る。

その書類を読もうと、ティルの側に置かれているランプに近づこうとして、更にその奥にある椅子に気付く。
その椅子に座って読もうと、イリスはティルの横を通り過ぎ、ランプを持ってその椅子に腰掛ける。
そして書類を読もうと一枚捲ったときだった。




―――『化け物』だって」




ぽつりと。
ティルが零した言葉に、イリスが書類から目を上げ、ティルを見る。
ランプの光にほんの少しだけ照らされたティルはイリスに背中を向けたまま、俯いて立っていた。




「・・・ティル?」

「・・・今日、同盟軍の人たちにあって・・・その中にシーナがいたんだ」

「シーナ、って・・・君の幼馴染みの?」

「うん。レパントと父さんが仲良くて・・・同じ学校にも通った。
シーナは僕にとっては弟みたいな存在だったけど、テッドと一緒によく遊んでた。
シーナがコウアンに行ってしまってからは殆ど会うことはなかったけど、解放戦争の時に再会して・・・。
そのシーナが言ったんだ。僕のことを、・・・『化け物』って」

「・・・・・・・・・」

「シーナが僕のことを嫌ってるのは知ってた。
僕のソウルイーターがテッドの命を喰らったって知って、凄く怒ってたし・・・、レパントは何かと僕とシーナを比べてたから。
解放戦争時代は特に・・・」




軍主という重い責任を背負ったティルに、何度もシーナは手をさしのべてくれた。
「軍主なんか辞めちまえ!」と言う言葉を何回聞いたのか解らないほど。

そんなシーナが手をさしのべなくなったのは、グレミオがいなくなってからだった。
どうしてかは解らなかったけれど、ティルに近づかなくなった。

特に酷くなったのは、テッドが死んでしまったとき。




―――お前が、テッドを殺したのか?




その問いかけに、ティルは素直に頷いた。
テッドが死んだという事実を隠さなかったのは、シーナには嘘がつけなかったから。
テッドが死んでしまえば、シーナは自分自身を嫌いになる。だからティルはその矛先を自分に向けさせようとした。




―――そうだ。僕が、テッドを殺した。




まるで自分をも戒めるかのように発した言葉に、シーナはティルをきつく睨みつけるだけだった。

それ以来、シーナと口をきいたことはなかった。
シーナはティルを避けたし、ティルは軍主の仕事に時間を費やした。
戦争が終わってからも、ティルとシーナが会うことはなかった。




「嫌われた方が良い。そう思ってた。
これから僕たちがしようとしていることを考えると、そう思う。それは変わらない。
―――・・・けど」




何時間前になるのだろう。
今は既に深夜を過ぎてもう朝になろうとしている時間だ。あのときはもうそろそろ夜になろうとしていた時間だったから、もう半日近くも前になるのだろうか。


ティルの言葉に呆然と立ちつくす姿。
大きく見開かれた碧の瞳に映る自分は、とても冷たい目をしていて。


何度心の中でごめんと呟いたのか解らないほど。

いつもの彼の表情に戻る前に見えた、哀しそうに眉を顰める表情に、思わず声を掛けそうになった。
風を纏って消えてしまったその姿に思わず手を伸ばしてしまった。

これで良かったのだと、何度言い聞かせても残る罪悪感。
それと同時にこみ上げてくる恐怖感。
もし、彼に嫌われてしまったら―――
そう心揺れる自分に、嫌悪した。




―――覚悟はしてた、・・・つもりだった」




でも本当は全然出来てなくて。
他の誰に嫌われても、良い。けれど。




「彼にだけは、嫌われたくないって、思う自分がいて・・・っ」

「・・・ティル」

「ルックを傷つけたのに、自分は傷つきたくないって。
・・・自分勝手なの、解ってる。でも、・・・解ってるけど・・・っ!」




相変わらず背を向けたままのティルに近づき、イリスはその頭を撫でる。
それでも、ティルはイリスの方を向かなかった。




「ティルはもう少し自分勝手に生きて良いんだよ」




そう言って撫でてくるイリスの手が優しくて、ティルは握りしめた右手の力を緩めた。
そしてイリスの言葉に、少し躊躇いながらも頷く。




「ティルはテッドによく似てるよ。
優しいから何もかも自分が背負おうとする。だから周りと壁を作ろうとする・・・。
他人が傷つくのを恐れて、自分を盾にしようとする。それで自分が傷つくのは構わない。
そう思ってるんだ」

「・・・・・・・・・」

「本当は嫌われるの、嫌なのにね。
ルックは勿論、そのシーナって子にも嫌われたくないんじゃないの?」




そのイリスの言葉に、ティルは素直に頷いた。
素直なティルに、イリスは思わず笑みがこぼれる。それと同時に、羨ましく感じる。
もし、自分がティルのように素直だったら―――




「・・・明日、同盟軍に行ってみる」

「・・・ティル」

「嫌われてしまったかもしれないけど、それでも、手助けくらいは出来るかもしれないから・・・」

「うん、ティルのやりたいようにやっておいで」




そう言ってイリスがティルから少し離れると、漸くティルがイリスの方を向いた。
そして手にしていた鍵の輪を外し、一つの鍵を取る。




「イリス、これあげる」




そう言って投げられたのは、今ティルが鍵束から外した鍵。
あまり小さくない鍵は、先程ティルが開けたような棚を開けるようなものではない。
少し細かなデザインが施されているそれは、部屋の扉を開けるような大きめのもの。




「ティル、これは―――?」

「励ましてくれたお礼。僕には、必要ないものだから」

そう言ってティルは窓の方に向かい、窓を開ける。
未だ日の出ていない空は暗く、窓を開けても殆どが闇に包まれていて見えない。
イリスはティルの後に続いてその窓の外を見ると、ティルがある方向を指さす。




「今は見えないけれど、この窓の直ぐ向かい側にその鍵で開く家がある。今は誰もいないけれど、きっとイリスには入る権利があると思う」




そう言ってティルは笑う。
イリスはそんなティルの言葉に、もう一度鍵を見つめて、そして聞こえてきたティルの言葉に、瞠目する。




「その家は、テッドが使ってた家だから―――






+ + + + +






そんな出来事を、ティルは夢の中で思い出していた。
どうしてそんなことを思い出したのだろうかと考えながら、ティルは重い身体を引きずって、階段をゆっくり下りる。

下半身に残る違和感。
腰に走る鈍痛。
そして、―――熱を持つ躯。

時々歪みそうになる視界に、ティルは思わずため息をつく。
しかし、その吐息ですら今は熱い。

手すりに掴まりながら階段を下りる。
それだけで切れてしまう呼吸。
激しく胸を撃つ鼓動。
時々こみ上げてくる吐き気。
それと手すりの心地よい冷たさ。

これだけ条件が揃えば、今自分が熱を出していると知るには充分だった。

くらりと目眩を起こすたびに足を止めて、落ち着いたらまた歩き出す。
それを繰り返しながら階段を下りていく。
たった一つの階段を下りるのにどれだけ時間を費やしたのか解らない。それを考える余裕すらもなかった。


原因はおそらく――と言ってもそれしか考えられないが、昨夜の行為。
元々受け入れることは出来ない躯なのに、無理に受け入れさせた。
そんな無理を強いられた所為で、躯がついて行けないのだろう。

こういうときは大人しく部屋で寝ていようと思うのだが、それは出来なかった。
少なくても、今日は大人しくベッドに横になっているわけにはいかない。




―――心配するこっちの身にもなってよ?




ふと思い出した今朝の夢に、ティルはどうして今朝あんな夢を見たのかを理解した。

心配を掛けているのは知っている。
そしてその原因は、自分があまりにも無理をする所為だと言うことも。
特に昨日は無理をしすぎた。その所為で今熱が出ているのだから。

また心配を掛けてしまうかもしれない、という罪悪感があるから、あんな夢を見たのだろう。

そう考えて、ティルは思わず苦笑いを漏らす。




「ティアスさん?」




後ろから掛けられた声に、ティルが振り返ると、そこにはフッチがいた。
その手には彼が愛用している槍が握られている。




「・・・フッチ」

「やっぱりティアスさんだ。いつこの城に?」

「昨日の夕方頃だよ。これから同盟軍に参加することになったから、これからよろしく」

「・・・え、同盟軍に・・・?」




そんなティルの言葉に、フッチは瞠目した。
そんなフッチの表情を見て、ティルは苦笑いを浮かべながら訊ねた。




「・・・意外かな?」

「え?えっと・・・」

「良いよ、正直に言って」




口籠もるフッチに、ティルが微笑むと、フッチは少し戸惑ったようだったが、直ぐにティルの瞳を真っ直ぐに見つめて小さく頷いた。
そんなフッチにティルは「そう・・・」と小さく零す。




「先の戦争で、ティアスさんはたくさん傷ついたから・・・」

「・・・そうかも、しれない。でも、だからこそ、この戦争に参加したいんだ」

「え・・・?」

「僕みたいに、誰かが傷つくのを見たくないからね」




その言葉に、フッチは一瞬瞠目したあと、凛々しい顔つきになって大きく頷いた。

四年の間に変わったフッチを見ながら、ティルは流れてしまった時を感じた。
どちらかというと可愛いとか、意地っ張り、と言う印象の強かったフッチが、未だ幼さは残るものの、凛々しい顔つきになったのには驚かずにはいられない。




「ところで、フッチは今何してたの?」

「あ、フェイさんと一緒に、クスクスの街まで・・・」

「・・・クスクス?」




その言葉に、ティルは何かに気が付いたように息を飲む。
それから慌ててフッチに背を向け、駆け出す。

後ろからフッチの声が聞こえたけれど、それに「ごめん!」と謝りながらも、走るスピードは落とさなかった。


降りるのに苦労した階段を、今度は飛び降る。
立ち上がろうとして目眩がしたが、倒れないように両足にしっかり力を入れ立つ。

そして顔を上げると、そこには遠征から帰ってきたフェイ達の姿があった。

上から飛び降りてきたティルに驚いて瞠目しているフェイとナナミ。それとカミューとマイクロトフの姿。
フッチと同じくフェイの遠征について行ったのだろう。
そしてそんな四人の後ろに、もう一つの影。

その影も同様に瞠目してティルを見つめていた。
けれど、それはティルが飛び降りてきたことに対して、ではない。
何故、ここにティルがいるのか、と言うことであった。




「お久しぶりです、クルガン殿―――




そう言ってティルは冷ややかな笑みを浮かべる。
――クルガンはティルから向けられる冷たい瞳に、背筋に冷や汗が流れるのを感じた。




「どうして、ここに貴方が・・・?!」

「簡単なことですよ。同盟軍に入っただけのことです」

「しかし、貴方は・・・」

「ハイランド側の人間・・・とでも言いたいのですか?」




こつ、と態と足音を立ててティルはクルガンに歩み寄っていく。
そのティルの雰囲気に息を飲んだのはクルガンだけではなかった。
その場にいたフェイも、カミューもマイクロトフも。周りにいる人々も、全員がティルの持つ空気に言葉を発することすら出来なかった。
ナナミはフェイの服の裾を握り、かたかたと肩を震わせている。

これが『トランの英雄』なのだと、カミューとマイクロトフはその目を鋭くさせた。




「私は初めから言ったはずですが?―――僕が従うのはルカだけ、と」




くす、とティルが笑みを零す。
その言葉に、クルガンは言葉を失う。


ルカがティルを紹介したとき、ティルは将軍の座をルカから与えられる予定だったが、それを蹴った。
ならば、とクルガンとシードに紹介され、どちらの元につくか、とティルに訊ねた。

その時、ティルは言ったのだ。




―――どちらでも。私で良いのなら力となりましょう。けれど、憶えておいてください。




初めはか弱い少年のように思っていた。
細い体躯。幼い容姿。

けれど、その印象はがらりと変わった。




―――私が従うのは、ルカだけ―――




その言ったティルの瞳は、とても鋭い物だった。
それだけで理解できた。理解せざるを得なかった。

この少年は、戦い慣れていると。
この少年は、戦に慣れていると。
この少年は―――自分たちよりも強いと。


今でも、思い出すたびに背筋が凍る思いをする。

あのときはティルが何者なのかは解らなかった。
感じたのは、只強いことだけ。


そんなティルが、同盟軍に回ったのなら、ハイランドはどうなるのか。


それを考え、クルガンは右手を強く握る。
そんなクルガンに、ティルはもう一度クス、と笑みを漏らして背を向ける。




―――言いたいことはそれだけですから。あ、私の『上司』にも伝えておいてくださいね」




ティルは視線だけをクルガンに向けたままそう言って、飛び降りた階段に向かって歩き出す。
歩くたびに痛みの走る躯。
でもそれを誰にも気付かれないように気を遣いながら階段を上っていく。

残された者達は、ティルの姿が完全に見えなくなるまで身動き一つ出来なかった。






+ + + + +






ルックが目を覚ましたときには既に太陽は高いところまで昇っていた。
何処か気怠さを残した躯に、疑問を感じ、昨日の出来事を振り返る。

そして脳裏に蘇ったカプセル型の水槽に、吐き気がこみ上げてきて、慌ててベッドから飛び出し洗面所に駆け込む。

昨日の朝食から何も食べていない為、吐き出したのは胃液だけだったけれど、洗面台にある鏡に映された顔は真っ青だった。

側に置かれていたコップで口をすすぎ、掛けてあったタオルで口を濯ぐ。

部屋に戻り、ベッドに腰掛け、そこで漸く何か違和感を憶える。
ベッドを振り返り、じっと見つめるが、特に何処か変なところはない・・・。
そう思っていた矢先のことだった。
コンコン、と部屋の扉がノックされ、そちらの方に視線を向ける。
けれど、返事は返さないまま、ベッドに横になる。

こんな時間に来るのはフェイか、その義姉か。それとも仕事だろう。
誰であれ、こんな顔色で会ったら騒がれるに決まっている。
それだけは避けたい。

だから放っておくことにしたというのに。

コンコン・・・

コンコン・・・

コン・・・

何の用事だか知らないけれど、相手はどうしてもルックに用事があるらしい。
けれど、声は掛けてこない。
こんなに遅くまでルックが寝ていることは珍しいことなので、留守という可能性だってあるのに、扉の向こう側にいる人物は未だしつこくノックを続ける。

それにだんだん苛立ちを感じてきたルックは、簡単に身体を冷やさないよう上着を羽織り、苛立ちを隠そうとしない足取りで扉まで向かう。




「いい加減にしてくれない?しつこい―――




少し声を荒げながら、扉を乱暴に開ける。
そして扉の向こう側にいた人物に、瞠目する。




―――・・・ティ、ル・・・?」

「・・・ごめん、しつこくて」




そう言うティルはルックと視線を合わそうとしない。
辛うじて笑ってはいるけれど、視線は俯いたまま。




「どうして、君が同盟軍ここに・・・?」

「・・・これ、渡しに来ただけだから・・・」




そう言ってティルが差し出したのは真っ白なシーツ。
どうやら『ここ』というのを『ルックの部屋』と勘違いしたらしい。

それを見て、ルックはベッドに腰掛けたときに感じた違和感を思い出し、ベッドを振り返る。
確かに、あったはずのシーツが一枚、なくなっている。




「どうして君がこれを・・・?」




ルックが訝しげに訊ねるのを聞いて、今度はティルが瞠目した。

どうやらルックは昨日のことを憶えていないらしい。
かといって無理に思い出させるようなことでもないので、ティルはそのシーツを抱きしめながらルックから少し離れる。




「・・・っごめん、僕の、・・・勘違い、だったみたい・・・」




そんなティルに、ルックは様子がおかしいと感じて、離れていこうとするティルの手首を掴む。
伸ばされた手に、ティルは思わず目を閉じ、身体を強ばらせる。




「・・・っ・・・!」

「ティル・・・?」

「・・・っな、何でもないから・・・っ、離し―――

「・・・とりあえず、部屋に入って」




ルックは抵抗しようとするティルを強引に引っ張って部屋に引き込む。
けれど、ティルはルックの部屋に入った途端に足を止めてしまう。
シーツを抱きしめ、俯いて、閉められた扉に背を付ける。

明らかに様子のおかしいティルに、ルックは眉を顰める。




「ティル・・・?」

「何でも、ない・・・から」

「・・・・・・そう、とりあえず何処かに座って」




頑なに何でもないと言い張るティルをルックは座るように促す。
ティルは小さく頷き、テーブルの側に置かれた椅子に腰を下ろす。
座るとき、少しだけ椅子を移動させ、ベッドに背を向けるようにして座る。
そうでもしなければ、昨夜の行為を思い出してしまいそうだったから。
ルックは、―――何も憶えていないというのに。




「とりあえず、どうして君が同盟軍にいるのかを聞いても良いかい?」

「・・・昨日の夕方頃に、こっちについて・・・同盟軍、というかフェイの支えとして参加することに、なった・・・から」

「『支え』?」

「うん・・・。フェイにとって大切なのは、ナナミみたいに側にいて上げられる存在が在ることだと思う・・・、から」

「なら、姉だけで充分なんじゃないの」

「・・・そうかも、しれないけど」




相変わらずすっと俯いたままルックの方を見ようとしないティルに、ルックは瞳を険しくする。
絶対に、何かあったのだと。
けれどティルがそれを言わない理由がわからない。




「・・・質問を変えるよ。君はどうしてそれを持ってきた?」




ルックはため息をつきながら、ティルの持っているシーツに視線を向ける。
その途端、ティルの肩が跳ねる。




「・・・・・・それは、昨日・・・」

「昨日?」




その言葉に、ルックはまた吐き気を憶える。
昨日、と言われて思い出すのが、アレしかないからだ。
それでもその吐き気を抑えながら、その事に触れないよう記憶を探る。


思い、出した、のは。




白いシーツに散らばる長い漆黒の髪。
怯えたかのように震える紫色の瞳。
途切れ途切れの、―――悲鳴。




―――・・・ぁっ!い、・・・ぁあ・・・!!




―――――・・・っ!!!!」




声にならない叫び声を上げて、ルックは立ち上がる。
音を立ててルックの座っていた椅子が倒れる。
けれど、そんなこと気にしている場合じゃない。

ルックは机を挟んで反対側に座っているティルに手を伸ばす。
ティルは伸びてきた手に、思わず身構えてしまう。
けれど、それよりも先にルックがティルの胸ぐらを掴み挙げ、ティルを引き寄せる。




「・・・っ・・・ルック・・・?」




不安そうな声を上げるティルを無視して、ルックはティルの詰め襟を開く。
そして覗いた首筋に、言葉を失う。


項に走る、赤い痕。


ティルは慌ててルックの手を払いのけ、詰め襟を掴む。
そしてそのままルックが止めるのも聞かずに部屋から走り去ってしまう。


残されたルックは、机の上に置き去りにされたシーツに視線を向ける。
そして左手を強く握りしめ、机を叩く。




「・・・っく・・・」




走り去る前、ルックに向けられたティルの瞳が映していたのは、恐怖だった。






+ + + + +






ルックの部屋を出て直ぐの曲がり角で、ティルは誰かとぶつかった。




「・・・、っ」

「わり、大丈夫―――




身体の大きさの所為か、倒れ込んでしまったティルに手を差し伸べようとして、その人物は言葉を失った。
ティルもその人物を見上げて、瞠目した。




「シー、ナ・・・?」

「・・・・・・っ・・・」




ぶつかった人物―――シーナはティルの顔を見て、唇を噛む。
そしてそのままティルに差し伸べた手を引っ込め、ティルに背を向けて去ろうとする。
けれど、ティルはそんなシーナの服を引っ張り、引き留めた。




「ま、待って!」

「・・・・・・んだよ」




不機嫌そうに振り返るシーナに、ティルは思わず服から手を離してしまう。けれどシーナはティルを見つめたまま、背を向けることはなかった。
ティルは俯いたまま、「ごめん」と呟く。
その言葉に、シーナはため息をつき、苛立たしそうに声を荒げた。




「用がないなら引き留めるなよ」

「・・・ごめん、なさい」

「・・・・・・じゃ、俺は行くからな」

「ごめん、ごめんなさ・・・、ごめ・・・・」

「もういいから・・・」

「何、で・・・・・・まるから・・・」

「何、言って・・・」

「・・・ね、い・・・やまる、から・・・!」

「おい、・・・?」

「あや、る・・・ら・・・」




途切れ途切れの言葉を繰り返すティルに、シーナはしゃがみ込んでティルの顔色を伺おうとして、そこでティルの息がやけに荒いことに気付く。
両手でティルの頬を挟み込み、ティルに顔を上げさせる。

その顔色は赤く、瞳は潤んでいる。
喉は音を立てていて、呼吸をするのでさえ辛そうだった。

額で熱を測らなくても解る。
触れている頬がこんなにも熱いのだから。




「お前、熱・・・!今、ホウアンを呼んで・・・」




そう言って離れていこうとしたシーナは、立ち上がろうとして腕を引っ張られた。
ティルは苦しそうな表情のまま、シーナの上でを掴んでシーナを見つめる。




「何度で、も・・・謝る、から・・・!!」




本当は。
本音は。


思い出すのは三人でいた頃。

草原を走り回った。

テッドに旅の仕方を教わった。
三人で出かけようとして、でもクレオに見つかった。

シーナに悪戯を教えてもらった。
それでグレミオに三人並んで怒られた。

夕暮れ時、勉強をシーナとテッドに教えた。
二人して投げ出して、結局は庭の木に登ってオレンジ色の街を眺めた。




―――ルックは勿論、そのシーナって子にも嫌われたくないんじゃないの?




なくしたもの。
シーナが離れてしまった。
テッドがいなくなってしまった。
いつの間にか、暇な時間ばっかりが出来て。

気が付いたときには、誰かの側にいることすら、怖くなった。


本当に自分勝手だって、解ってる。
それでも、どうか。

『一生のお願い』だから―――――









「嫌いに、ならないで・・・―――!」









本当に自分勝手だけど


楽しかったあの時に

幸せだったあの時に


戻りたいと、思う。


誰かが遠く離れてしまっても

決してこの絆は壊れないと信じていた、あの頃に―――――











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【please】・・・どうか〜・どうぞ〜



* * * * * * * 後書き * * * * * * *




長・・・!こんなに長くなるとは思っていませんでした。
というか、相変わらず話がどんどん渡しの予想外の方向に行ってます。
まぁ、主軸は変わってないから良いんですけど。

今回はルックの出番少なかったですね〜(今回『も』です、はい)。
今回はティルの本音を出してみました。
変なのは、熱があるからです(多分)。

一番書きたかったところは何故か完全に消えてしまったんですけど、他に書きたいところが出来て、そこがちゃんと書けたので良かったです。
原因はイリスにあります。イリスです。
イリスなんてこの話の1/4だけのハズだったのに、気が付けば1/3に・・・!
イリス、大暴走です。

そろそろ真面目にルックの出番を増やしていきたいです(これ何回言うんだろう・・・?)。