人の考えなんて、誰にもわからないもの。


ただ、考えることは出来る。

ただ、信じることは出来る。


それでも、人の考えも、

未来も、見えないものだから


人は不安を覚える。

人は怯えて暮らす。




けれど、見えてしまったら

きっと、絶望しか、見えない―――










A C C E P T










闇色の夜空に浮かぶのは、青白い光を放つ、少し欠けた月。
その月が照らすのは、枯れた大地。
白い光の下に、緑はない。在るのは萎びた草。ひび割れた大地。ごつごつとした岩。

その固い岩の上に腰掛けて、ティルは左手の包帯を少しずつ解いていく。
砂の混じった風に煽られて揺れる包帯は、右手に巻かれているものと同じだ。

右手に巻いている包帯は、その下の紋章を隠すためにある。
では、左手に巻かれた包帯にはどんな意味があるのか。

右手だけでは怪しまれるからか。―――否、違う。
棍を振り回すと豆が出来てしまうからか。―――否、違う。
では、―――右手と同じように『何か』を隠すためか。

解かれた包帯の下から現れたのは、月明かりの下でも映えるほど白い肌。
その肌の上に、おかしな点はない。
うっすらと浮かぶのは、雷の形を模した紋章。雷鳴の紋章と呼ばれるそれは、決して珍しい紋章とは言えない。
確かにこの付近の街では売っていないだろうが、それでも決して手に入らない紋章とは言いにくい。
だからその紋章を隠す必要など、どこにもない。

包帯を巻いていたのは、それ以上に隠したいものがあったから。

解いた包帯を自分の膝の上に落とし、ティルは月を見上げる。
そしてそのまま左手を自分の顔の前に翳す。

月明かりに照らされた左手。その影が、ティルの顔に落とされる。
影の中で輝く青灰色の瞳は、真っ直ぐに左手の甲を見つめる。

手の甲に在るのは、薄くライトグリーンに輝く雷鳴の紋章。
けれど、月の光の下で、雷鳴の紋章は形を潜め、代わりに青白い文様が現れる。
雷鳴の紋章の輝きが損なわれたわけではない。ただ、その輝きよりも、新たに現れた文様の方に瞳を奪われてしまう。
その輝きは月と同じ。
雷鳴の紋章の上にあるハズなのに、その文様の美しさは損なうことはない。
むしろ、雷鳴の紋章がその美しさを倍加させているように見える。

ティルはその手の甲を、―――青白い文様を見つめ、瞳を細めた。




「やはり、血には抗えぬか・・・」




後ろから聞こえてきた、少女特有の少し高い声。けれどティルはその声に驚くことはなく、後ろを振り向くこともなかった。

左手を下ろし、膝の上にある包帯を巻こうとして、その手が止まる。
ティルの包帯を持つ右手に、ティルよりも白い手がのせられた。
その冷たさに、ティルは思わず持っていた包帯を離してしまう。




「・・・嘆いておった。おんしに辛い過去を負わせてしまう、と」

「・・・・・・・・・」

「おんしに辛い運命を負わせてしまう、と」




月明かりを受けている左手の甲には、未だ文様が消えずに残されたまま。
ティルはそんな左手を握りしめる。




「・・・知ってる。そうやって、ずっと自分を責め続けていらっしゃったことは知っていた」

「・・・・・・ティル」

「馬鹿馬鹿しいと思っていたよ。こんなものの所為で、隠れて生きていかないといけない。自分の中に流れる血を呪って生きていかないといけないのか、と。
でも、・・・今は―――感謝、してるんだ」




ティルの右肩に、少し重みが掛かる。おそらく少女がティルの肩に寄りかかったのだろう。
けれど、ティルは少女の方に視線を向けることなく、ただ青白い輝きを放つ文様を見つめ続ける。




「これは、今の僕にとっては『しるべ』だから・・・」




例えその『しるべ』の先が―――『苦』であっても。






+ + + + +






ゆらゆらと揺れる炎を見つめながら、ルックは身体を起こす。
外套を身体に巻き付け、寒くないように少し炎の側に近い場所に腰を下ろす。

この辺りには身を隠せそうな茂みはないし、周囲には結界をはったので、何かが近づけば直ぐに解る。
だからルックが見張りとして起きている必要はどこにもない。
むしろ寝るべきだと、フェイにもビクトールにも釘を刺された。
ルックは真なる紋章を宿している。これから行く街を襲っている化け物も、真なる紋章を宿している。
いざとなったときに対抗できるのは、ルックの風の紋章と、フェイの盾の紋章しかない。だからこそ体力を温存しておかなければならないのだ。
それは解っている。けれど、なかなか眠りにつくことは出来なかった。


―――『僕みたいな』軍主にはならない。きっと、良い軍主になるよ。


そう言ってミューズから去っていったティル。
あれからティルの姿を見た者はいない。フェイ達の本拠地である城に戻ったと言う話も聞いていない。
とは言っても、そんなに詳しく調べたわけではない。
ミューズから帰ってから間をおかずにティントからの遣いが来たのだ。
今は、そのティントに向かっている最中なわけで。




「・・・寝ろ、って言われてなかったか?」




後ろから突然掛けられた声に、ルックは身体を強ばらせる。
そして後ろを振り向くと、そこにはルックと同じように外套に身を繰るんだ青年が立っていた。
そのままルックの許可もなしにルックの隣に座り、揺れる炎を見つめる。
揺れる炎に照らされて金の髪がオレンジに変わる。




「・・・アンタこそ、疲れたって言ってたくせに」

「疲れるモンは疲れるの。こんな何もない土地なんて初めてだぜ?山登りはハードだし、乾いた風は痛いし、魔物はどんどん出るし」

「・・・そんなことを言うくらいならついてこなかったら良かったのに」




ティントに行くことが決まったとき、フェイは誰を連れて行こうか悩んでいた。
ネクロード、と言う名前を聞いてビクトールは自分から申し出た。
フェイに絶対について行く!と、ナナミは強制的についてきた。
ハンフリーと長い間旅をしてきたフッチはティントに行ったことがあると、道案内役に選ばれた。
ルックは真なる紋章持ち、と言う点と、以前ティルやビクトールとネクロードと戦った戦歴があるため、いつの間にか強行軍に入ってしまっていた。

後誰を連れて行こうか、と考えていたときに名乗り出たのはシーナだった。




「・・・聞きたいことがあったんだ」

「・・・僕に?それだけのためについてきたって?」




馬鹿じゃないの、と言うようにルックはため息を吐く。
そんなルックを、シーナは『放蕩息子』と呼ばれる時とは全く違う真摯な目つきでルックに視線を向ける。
その視線はきつく、まるで睨みつけるかのようだった。






「あいつの首もと・・・お前だろ?」






その言葉に、思わずルックは息を飲む。
『あいつ』が誰なのか。そんなことは言われなくたって解る。

赤い胴着、立てた襟の下に隠された赤い痕。
それが何なのか。この歳になれば誰だって解る。
そして、その赤い痕はティルがどんなことを強いられたのかさえも如実にしてしまう。

ルックは外套を握りしめ、口を閉ざしたまま炎を見つめる。
シーナの瞳を見てはいけない気がした。

黙り込んでしまったルックに、シーナは心の中で『やっぱり』と呟く。
それと同時に、小さなため息を漏らす。




「・・・解放軍時代、あいつが『ティル』と名乗っていたのは、知ってるな」




乾いた風が吹いて、炎が揺らぐ。
ルックはシーナの言葉に小首を傾げながらシーナを見る。

シーナの横顔を見たのは初めてではない。解放軍時代から何度か行動を共にしたのだから。
けれど、シーナの真剣な表情というのはあまり見たことがない。
街に行く度に女の子を口説き、草原を歩けば冗談を並べ、人をからかう。戦闘の時でさえ、何処か余裕の笑みを浮かべている。
なのに、今炎を見つめる瞳は真剣で、何処か思い詰めたような表情をしていた。




「戦争が始める前まで、あいつは『ティル』と呼ばれたことは殆どなかった。テッドだってフッチだって、『ティル』なんて呼ばなかった」




その中に自分も含まれていることは言わない。

ルックはそう言えば、と考え寝ているフッチの方に視線を向ける。
解放戦争にティルが参戦する前にティルと会っていた彼は、ティルのことを『ティアス』と呼んでいる。




「『ティリアス』と言う名前は帝国じゃ有名だった。『ティアス』も同じで、それが誰のことか、誰の息子のことか、直ぐに解ってしまう。だから―――あいつは『ティル』と名乗った」




父親が、自分の周りにいた者達が、帝国で責められないように。
『ティリアス』が反旗を翻したと、知られないために。

実際、自分の姓も隠していた。
ティルが帝国が誇る五将軍の一人、テオ=マクドールの息子だと名乗ったのは、パンヌ・ヤクタ城を攻め落とした後のことだった。




「いつも、他人優先なんだ、あいつは。誰が傷つく、それを最優先で考えて、自分の事は制限する。自分のことはいつも後回し。
―――それが、俺は気に入らなかった」




グレミオが死んでしまったと聞かされたとき、まずティルの心配をした。
彼はきっと人前で泣くことはない。どんなに辛くても、一人で抱え込もうとするから。
一人で抱え込んで欲しくなくて、ティルの『親友』だったから、少しは支えになれると、自惚れていた。

会いに行ったティルは、笑っていた。

どうして我慢するのか。
どうして自分をもっと頼ってくれないのか。
それだけが、悔しくて。悔しくて。




「・・・あのとき、ソウルイーターはグレミオさんの魂を喰らったあとで、力を増していた。だから、ティルにもコントロールが出来なかった」




気付けば良かった。ティルが右手の甲を抑えていたことに。
ティルが誰も近寄らせないよう、マッシュに人払いを頼んでいたことに。

なのにずかずか入り込んで、その挙げ句、ティルに罵倒をぶちまけた。


憶えているのは、黒い闇が自分を覆い尽くそうとしていたこと。
ティルが抑え込んでいた右手で恐ろしい紋章が朱い光を放っていたこと。
ティルの声が、聞こえたこと。


―――もう、誰も失いたくないんだッ・・・!!


悲痛な声。
今でさえ、耳に刻まれたその声は、消えることなくシーナの頭の中で繰り返される。
こんな苦しそうな声を聞いたのは、どれくらい久しぶりだったろうと、思わず考えてしまうほどに。

遠のきかける意識の中でもはっきり聞こえた声。
自分のしたことが、言ったことが、こんな形で帰ってくるなんて思っても見なかった。




―――僕の魂を・・・っ、僕の全てを、あげるから・・・ッ!!




目を覚ましたとき、夕暮れだったそれは闇色に染まり、空には月が浮かんでいた。
そして側にいたティルの瞳は、いつもの青灰色ではなくて。

まるで血塗られた色だと思った。
暗い、部屋の中で何よりも眩しく輝く紋章よりも、さらにあかく、そして暗い色。

そっと自分の頬に伸ばされた手の冷たさに、背中に冷や汗が流れていくのを感じた。




―――ねぇ、全部、僕にくれるんだって。この綺麗な瞳も、全て僕の物だって。




くすくす、と笑うその姿に、いつもの可愛らしさなど微塵も感じない。感じるのは恐ろしさだけ。




―――でもね、僕はこの瞳だけで充分。君の魂の代わりにしては、安い物でしょう?




今も、脳裏に焼き付いて離れない言葉、瞳、手の冷たさ。
情けないけれど、思い出しただけでも身体が震える。




「・・・気付いてたか?あいつの左目」

「・・・?左目?普通に見えたけど?右目と同じ、紫の・・・」

「だろうな。そんな簡単に気付かせない。俺だって、初めは気付けなかった」




信じたくなかった。あの言葉の意味を。
けど、どんなに願っても、真実は常に無情なもの。









「・・・あいつの左目は、何も映さない」









その言葉の意味をしっかりと理解できるまで、どのぐらい時間が掛かったのだろうか。
気が付けば、目の前の炎は消える直前だった。




「それって・・・!」

「誰にも言わなかっただろうな。俺が知っているのは、あいつを問いつめたからだし。初めははぐらかそうとしてたけど、結局は折れて、教えてくれた」




消えかけている炎に、シーナは側にあった薪代わりの小枝を投げ込む。
揺らめく炎はまるでルックの心情を表しているかのように、止まることはない。




「何もかも一人で背負い込んで、真実を隠そうとする。あいつはそんなヤツだ」

「・・・・・・」

「今、あいつが何を考えてるかなんて解るヤツはいない。
けどな、ルック。ティルはお前を『受け入れた』んだ」

「・・・は?」

「ティルならルックから逃げ出すのは容易いことだ。それをしなかったのは、首元を見れば直ぐに解るだろ」

「・・・・・・・・・」

「ルックの想いからティルは逃げようとはしなかった。受け入れたんだ。
だから、この先何があっても―――ティルを信じてくれ」




―――ルック。これだけは憶えておいて




ルックはティルに思いを打ち明けた。でも、それを受け取ってはもらえなかった。
けれど、それにも、なにか『事情』が在るのだとしたら、と淡い期待を抱いてしまうのは愚考だろうか。

だってティルは、ルックを受け入れてくれたのだから。


今、自分自身に出来ることがそれしかないのならば。




―――僕は絶対、ルックを裏切ったりはしないから―――




その言葉を、信じてみよう。






+ + + + +






襲いかかってくるもの達に、思わず吐き気を憶える。
骨だけで創られたそれは、筋肉もないくせに剣を持ち、駆け寄ってくる。
明らかに腐臭を漂わせて、緑色に変色したそれは、元は人として生きていたのだろう。
どう見ても骸骨とゾンビにしか見えないそれらは、近寄ることすら躊躇わせる。

明らかに魂を持たないそれは、どこからともなく湧き出てきて、キリがない。
これがネクロードの仕業だというのは、この中の誰もが知っていることだ。




「・・・ルック、どうにか出来ないの!?」

「・・・僕だって近寄りたくないし、こんなのに風の紋章を使ったら肉片が飛び散るよ」

「・・・・・・・・・ぅぇ・・・」




落ち着きのないフェイの声に、ルックが淡々と返すと、その後ろにいるシーナは想像してしまったのか、口元を抑えた。

骨なら未だ良い。バラバラに崩れてしまうだけなのだから。
問題は腐臭を漂わせているゾンビの方だ。
アレを切ったら、暫く剣は腐臭で使い物にならないだろう。

生憎、この中に炎の紋章を持っている者はいなかった。
在るのはルックの風の紋章、フェイの盾の紋章、怪我をしたときのためにナナミが宿した水の紋章、フッチが持つのは土の紋章で、シーナが宿しているのはあまり役に立ちそうもない雷の紋章だ。
ちなみに、魔力を殆ど持たないビクトールは何も宿していない。


それなのに。

乾いた大地に走る紅い閃光に、思わずその場にいた全員が目を瞑る。
それに行く手を阻まれたゾンビは、身体から煙を上げる。
燃え上がる炎によって焼かれたその身体は、やがて動きを止め、炎が消えるときには灰しか残されなかった。




「・・・ネクロードを討つには、炎の紋章は基本だよ」




そう言って、消えた炎の名残である煙の奥から現れたその姿に、その場にいた全員が瞠目した。

赤い胴着。首の辺りでバンダナで一括りにした髪は背中の辺りで揺れている。




「・・・ティルの兄貴!」




そう言って掛けだしたティントの遣い、コウユウの言葉がなければ、その場にいた全員が自分の目を疑ったことだろう。


そこにいたのは、ミューズで姿を消して以来、行方知れずになっていた『トランの英雄』、ティルだったのだから。









彼の言葉の一つ一つをもっと考えていれば。

もっと信じていれば。


そう後悔するのは、遅すぎた。




今、この手にあるぬくもりは、

既に、消えようとしている―――











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* * * * * * * 後書き * * * * * * *




今回書きたかったのは、過去の話と、シーナがティルをどう思っているのか、と言う部分です。
シーナに関しては、ティルを心配していたんだ、と言うことが伝われば幸いです。

ルックの出番が殆どない・・・。いや、在るんですけどね?今回はシーナの方が目立っている・・・ので。

一番初めにティルと出てきた人はあの方です。
ヒントは『血』。あとは・・・『ナッシュ』です。(多分解るかと)