余ってしまった歯車を、無理矢理入れた。
それだけで、機械は壊れてしまう。
運命も、似たような物かも知れない。
本当は消えていくはずだったピース。
なのに、何故か消えなかったピース。
それを運命の輪に加えようとして、全てが狂った。
この時から、少しずつ―――
運命の輪は、狂ってしまったのかもしれない。
N I G H T M A R E
コウユウが求めていた救いの手は、既に手遅れだった。
山賊のアジトは既に壊滅。
少しでも現状を把握しようと、フェイ達はこの地域を統べるティント市長に会いに行くため、目的地をティントへと移した。
その途中に、予想外の再会を果たしたティルは、今はコウユウやコウユウの兄貴分であるギジムに挟まれながら、フェイ達の前を歩いて山を登る。
そしてティル達に案内されるがままのフェイ達は、朝早くからこの世の者ではない者達に襲われた疲労の所為か、ティルに事情を聞くことも出来ず、ただ黙々と山道を登っていく。
やっとたどり着いた村は、静かな村だった。
虎口の村と呼ばれるそこは、相変わらず荒い風が吹き荒れ、砂を舞わせる。
ひび割れた大地に立つ者達は、決して裕福な生活をしているとは思えなかった。
それもそうだろう。この村に来るまでに何度魔物に襲われたことか。
その中にはこの世の者ではない者までいた。おそらくはネクロードの能力だろう。
その能力に、この土地に住む人たちは怯えながら暮らしているのだ。
フェイは村に着いた途端目にした光景に、思わず目を細めた。
これほど活気のない村に来たのは、もしかしたら初めてかも知れない。
そんなフェイの思惑を知ってか知らずか、ティルは真っ直ぐにこの村唯一の宿に足を向けた。
そしてそれは正しい選択といえた。
この辺りの環境になれていないフェイ達は、戦いの疲れも手伝って、既にへとへとだった。
約一日掛けて登った山道はそれほど辛いものではなかったが、その途中に休憩を取れるような場所もなければ、水の気配さえもなかった。
それが身体に負荷を掛けていたのだろう。
フェイ達はティルが向かった先を知ると、それに黙ってついて行った。
喉を潤したい。腹を満たしたい。足を休めたい。
その思いだけが今のフェイ達を動かしていた。
案内された部屋は決して広い部屋とは言えなかった。
その部屋をいくつかとり、数人で分けて部屋に入る。
既にティルは部屋を取っているらしく、自分の部屋は必要ないと言っていた。それと同時に、一番奥の部屋には別の客がいるから行かないように、と。
フェイとルックとシーナに割り当てられた部屋を後にしようとしたティルを引き留めたのは、シーナだった。
「・・・説明、するんだろ」
「・・・・・・・・・」
「どうしてお前がここにいる?ネクロードの話を、どこから聞いた?」
扉に手を掛けたティルの肩に手を掛け、シーナはティルを睨みつける。
ルックはベッドに腰を掛け、長い山道で疲れた足を休ませようとブーツを脱ぎながら、その光景を見つめていた。
その後ろでフェイがシーナを止めようと、座っていたベッドから腰を浮かせたときだった。
こん、こん・・・
小さく叩かれた扉。けれどそれは静まりかえった部屋にはよく響いた。
ティルはその扉の奥に誰がいるのか解っていたのか、ノックに返事を返すこともなく扉を開いた。
「・・・やっぱり、彼らの所にいたね」
そう言ってティルを見つめる瞳は、海を思わせる蒼。
小首を傾げたときに揺れる肩につきそうな茶色の髪。その左の一房は編まれていて、胸元で揺れている。
額に掛かる前髪から覗くのは赤いバンダナ。
にこ、と微笑んだその少年から、ルックは何処か違和感を感じていた。
視線をすっ・・・とずらすと彼の左手は指の部分のない手袋に覆われている。
これでは確かめたくても、確かめることは出来ない。
もともと、それが目的で着けているのだろうけれども。
少年はそんなルックの視線に気付いて、ティルに向けた笑みを深めた。
「鋭いね。彼が・・・ルック?」
ティルに囁かれたその声。
少し離れた位置にいたルック達には聞こえなかっただろうけれど、ティルと、その直ぐ側にいたシーナには聞こえていた。
ティルは小さく頷きを返し、ルックに視線を向ける。
そんなティルと少年のやりとりを、シーナは鋭い視線で見つめていた。
そんなシーナの痛いほどの視線に少年が気付かないはずもなく、少年はシーナににっこりと笑みを帰した
「そんなに敵意を向けないでよ。少なくても僕は・・・『君の』敵になったりはしないから」
くす、と笑みを漏らす少年の言葉に、シーナは引っかかりを感じた。
けれど、それが何かを確かめる前に少年がシーナに向けていた視線は外され、きっかけを失った言葉は喉の奥に留まった。
シーナから移された視線はティルに向けられた。
「ティル、君が急にいなくなったから『お姫様』が不機嫌なんだ。そろそろ起きてしまう。その前に、何とか機嫌を取っておいて」
「・・・犠牲者が出る前に、ね。わかった」
少年の言葉にティルは頷いて、未だ肩に置かれたシーナの手を取り、振り返る。
真っ直ぐに青灰色の瞳を向けられたシーナは、言葉を失い、息を飲む。
「後で、ちゃんと説明する。だけど・・・今は出来ない」
そのままシーナの手を自分の肩から離し、視線をシーナからその後ろにいるルックとフェイに向ける。
フェイは突然現れた少年と、その少年と関わりを持っているであろうティルを交互に見つめている。ティルを見るその紅緋色の瞳はティルに答えを求めているように見えた。
そして少年の左手を痛いほど睨みつけているルックは、自分に向けられたティルの視線に気付き、顔を上げる。
「フェイ、僕はしばらくはこの宿にいる。もし僕の力が必要になったら・・・ここに来て」
「・・・ティルさんの『力』?」
「そう。ネクロードは真なる月の紋章を持っている。僕と同じ、闇に属する紋章を。君が持つ盾の紋章のようにネクロードに傷を負わせることは出来ないけれど、動きを鈍らせることぐらいは、出来るはずだから」
そう言った瞬間、ティルは自分の背に刺さる視線が一瞬強くなったのを感じた。
ティルの後ろにいるのは、唯一人。
海を思わせる、蒼い瞳を持つ少年だけ。
その視線に気付いていないふりをして、ティルは少年の側を通り過ぎる。
その時に囁かれた言葉さえも、聞こえなかったことにして。
扉を閉じ、瞳を伏せ、溜めた息を吐き出す。
囁かれた言葉が、耳に残る。
けれど、それに応える必要などない。
だって、彼はティルの答えを知っているから。
―――下手をしたら、犠牲になるのは君なのに?
犠牲になるのを怖がっていたら、きっとこの先、歩いていくことだって出来ない。
+ + + + +
「まずは、初めまして、かな。同盟軍軍主フェイマオさま?」
閉じられた扉に背を預け、少年は真っ直ぐとフェイを見つめた。
その言葉に、フェイは一瞬躊躇う。だってフェイは自分の名前を言ってない。同盟軍軍主だと名乗ったはずもない。
気付かれぬように外套のフードを深く被ってきたのだから。
ティルにでも聞いたのだろうか。
それでも、初めて会う人間に名前を呼ばれるというのは、余り良い気がしない。
「僕はイリス。君やティルと同じように、約150年前に群島諸国で起こった戦争で天魁星の守護の下にいた者」
そう言って外された左手の手袋。その下から現れたのは、蒼い光を放つ、複雑な紋章。
それが真なる紋章だと、フェイもルックも直ぐに解った。
自分の持つ真なる紋章が、その紋章に反応しているからだ。
「僕が持つのは真なる紋章の一つ『罰の紋章』。この力を、君たちに貸そう。
―――ティルが、君たちに手を貸している間は」
イリスは瞳と同じ光を放つ紋章を見つめる。
昔、宿主に巨大な力を与える代わりに、生命を削ると云われて、恐れられていた紋章だ。
けれど、今はイリスの生命を削ることもなく、イリスの思うがままに力を貸してくれる。
この紋章を恐れたこともあった。
自分も生命を削られるのではないかと。
自分の代わりに、誰かの生命を削ってしまうのではないかと。
その恐怖心に耐えることが出来たのは、自分と同じ立場の人間が側にいたから。
紋章の力に怯える者が、いたから。
ちら、とイリスは相手に気付かれない程度に視線を上げる。
蒼い光を放つ紋章を見つめている碧の瞳。
彼と同じ、星の守護下にいる者。
―――ティルを、救えるかも知れない・・・人
イリスは左手に手袋をはめ直し、左手を下ろす。
しばらくは下ろされた左手を黙って見つめていた三人だが、イリスが足を踏み出したと同時にその視線はイリスの顔に向けられた。
何もしていないのに、人の視線を集めてしまう紅碧の瞳。
その視線の先にあるのは、碧の瞳。
ルックは視線の先にいるのが自分だと感じて、思わず唾を飲む。
ルックの目の前でイリスは足を止めた。それでも、ルックの瞳からは視線をそらさない。
ルックもイリスから視線をそらすことはない。否、反らすことは出来なかった。
イリスは自分が今ここにいる理由を改めて考え直す。
ティルが言っていたことの真偽を確かめる為だ。
本当にルックにそのような『力』と『意思』が在るのか。
ティルが言うような人間なのか。
それを確かめる為に、今、自分はここにいる。
「・・・ルック、だったね?」
「・・・・・・・・・何?」
瞳を鋭くしたルックに、イリスは表情に出さないようにして笑う。
『こういうところ』は、彼とよく似ている。
でも、『それ』ではいけない。彼と『似ている』では。彼『以上』の存在でないと。
「―――何でもない、気にしないで」
そう言ってイリスはくす、と笑う。
その笑顔に、ルックは「は?」と顔を顰めた。
別にからかったわけではなかったのだが、ルックはそう感じてしまったらしく、不機嫌そうにイリスを睨みつける。
それを側にいたフェイが何とか宥めようとしている。
その光景を視界の端に捕らえながら、イリスは踵を返す。
そして部屋から出ようとして扉に手を掛けて、扉の側にいたシーナにしか聞こえない声で呟く。
「ティルが君たちに手を貸している間、僕は―――『君たち』を試させてもらうよ」
それにシーナが驚いてイリスの顔を見つめると、イリスは考えの読めない笑みを浮かべる。
それから「じゃあね」とフェイに一声掛けて、扉を閉める。
扉を閉めて顔を上げると、既に外は闇色に包まれていた。
窓の外を見つめるイリスの瞳は鋭く厳しい。
「・・・僕は、ただ―――止めたいんだ」
過ちは繰り返したくない。
失う辛さを知ってしまっているから。
+ + + + +
夜の部屋の中は、ランプでも灯さない限り闇色に染まったままだ。
唯一この部屋を照らしているのは月明かりだけ。
ティルは窓の側に置かれた椅子に腰掛けて、窓越しに月を見上げる。
静まりかえった部屋には、同行者である『お姫様』の寝息が微かに聞こえるだけで、他には何の音もない。
ティルは首を傾げ、赤い胴着の襟元から手を差し入れる。
つ・・・と指が触れた瞬間に走る微かな痛みに、思わず顔を顰める。手加減もしてもらえないほど、『お姫様』は不機嫌だったらしい。
窓に寄りかかることで、少し重い頭を少しでも軽くさせようと試みる。
その途端、木製の床を歩く音がして、ティルはこの部屋で唯一の扉を見つめる。
コツ、と言う靴音は扉の前で止まり、そのままノックをせずに扉を開けた。
扉の奥から見えた茶色の髪と、それに覆い隠された赤いバンダナが見えて、ティルは窓に凭れていた頭を上げ、静かに微笑む。
入ってきたイリスは、暗闇の中でもティルの顔色の悪さが解ったのか、慌てて駆け寄ってきた。
そんなイリスに、ティルは苦笑いする。
頬に触れたイリスの手が温かくて、無意識にすり寄ってしまう。
「大丈夫、少し貧血を起こしかけているだけ」
「・・・そう。でも明日は一日休んでなよ?」
「ん、解ってる。こんな所で倒れる訳にはいかないし」
素直に頷いたティルにイリスは驚いたらしく、大きめの瞳でティルを見つめていた。
そんなイリスの反応に、ティルは苦笑いをするしかない。
今までどれだけ無理をしてきたのかと言う自覚はある。その分、イリスに心配を掛けたことも、その心配を何度も無下に扱ってきたことも。
今更ながらに、罪悪感がティルの心にまとわりつく。
「・・・期待を裏切るようで悪いけど、元々今回は彼らについて行くつもりはなかったから」
「はいはい、解ってます。ティルは無理するのが趣味らしいからね」
「・・・ごめん」
当てつけのようなイリスのことに、ティルは笑うしかない。
それでも、イリスから向けられる瞳はとても優しくて、刺々しい物などではない。
イリスは優しいから、その優しさに甘えそうになる。
「でも、どうして?その為にここに来たんじゃ・・・」
「ここに来たのはコウユウ達に助言するためだよ。『同盟軍に助けを求めればいい』って。それに、いざというときは参戦する。僕はネクロードにとって、格好の獲物だ。フェイ以上にね。囮になることは出来る」
「なら・・・彼らについて行かないのは?」
「・・・ティントで、フェイは道を選ばなくちゃ行けない。それの妨げにはなりたくないからね」
そう言ってティルは窓の外を見上げる。
少し欠けた月が、ティルの右耳に揺れるピアスを照らす。
血のように緋い逆十字のピアスの片方の行方を、イリスは知っている。
「そう言えば・・・『彼』の方は順調だよ。傷も治ってきているし、食欲もある」
「・・・そう。なら、良かった」
そう言うティルは窓の外を見つめたままだ。
長い黒髪に覆われた体躯は女の物ではないかと思われるほど細い。
勿論、その身体に驚くほどの力を秘めていることは知っているのだけれども。
「・・・このまま快復していけば、そのうち以前と同じように力を振るえるようになる。そうなったら、君はどうするつもり?」
「・・・『どう』って?」
「僕の知っている限りを話して味方にするのか、それとも・・・」
「それは『彼』が選ぶことで、僕たちが決める事じゃない」
話したって、味方になるかどうかなんて解らない。
イリスだって、全てを知っている訳じゃない。
ティルはいつも肝心なことを隠す。それに気付いているのに、問いつめることもさせてくれない。
「・・・僕はもう寝るよ。また『お姫様』の機嫌を損ねてしまったときのために、ね」
そのティルの後ろ姿を、イリスは黙って見つめていた。
幾らイリスが言葉を並べたって、ティルを止めることが無理なのは解っている。
あの細い身体を支える力すら、イリスには与えられていない。
だからこそ、少しでも欲しかった。
『彼なら止められる』と言えるような、僅かな希望が。
イリスは、窓の外を睨みつけた。
何度も聞かされた事実。
初めは信じられなくて、けれど今はそれを疑うことすら出来なくなってきている。
そして、その事実に、自分の無力さを教えられた。
歯を噛みしめ、手を握りしめ、いっそ全てを壊してしまう衝動に駆られる程に。
そんなことをしても、事実は変えられないと、知っているのに。
どうして彼だけが、こんな目に遭うのか。
その言葉は声にならなかった。