―――夢で、あって欲しいと・・・どれだけ願ったか







ティルはゆっくりと明けていく空を、窓の縁に座りながら見つめていた。
未だ体調が万全というわけではない。むしろ未だベッドに横になっているべきであると自覚している。
それなのに起きて窓の外を眺めているのは、偏に眠ることが出来ないからだ。

元々ティルは睡眠を取る方ではない。
長くても5時間、一睡もしない日だってある。
ここ最近では、3時間寝られたら良い方だろう。

ティルは自分の身体を抱きしめるかのように自身の体に腕を巻き付ける。
ぶる、と震えた体は、少し冷えている。けれど振るえた理由はそれではない。

ほんの、一刻ほど前に見た夢が、忘れられないからだ。

その所為か気分が高揚してしまい、眠気が一向に襲ってこないのだ。
だから気を落ち着かせようと空を眺めているのだが、それでも胸にのし掛かるものは重い。


恐らく、もう暫くしたらフェイ達も目を覚ますだろう。そして陽が昇りきらないうちにこの村を出て行くのだろう。ネクロードを倒しに。
けれどティルはそれについて行こうとは思わない。
戦えないとまでは行かないが、恐らくいつもの力の半分程・・・否、もっと少ない力しか出せないだろう。
それを、ルックやシーナ、下手をしたらビクトールやフェイにも気付かれてしまうかも知れない。

そして、油断でもして、ネクロードに血を狙われたらたまらない。
この血は特別なのだ。あのシエラが毎日欲するほどに。

それに、昼に来る者達を迎えなければならない。呼び寄せたのは、ティル自身なのだから。

その代わりに、イリスに行ってもらおうとティルは考えていた。
恐らく今のフェイ達に助力など必要ないだろうが、万一、と言うのはあるかも知れない。
けれど、何よりも昼に来た者達との会話を、誰かに聞かれるわけにはいかない。それが、イリスならばなおのこと。


イリスは優しい。恐らく、今ティルの『望み』を知っている者の中では一番にティルを想ってくれているだろう。
だからこそティルの身体を心配するし、全力でティルの助力をしてくれている。

けれど、『だからこそ』イリスに打ち明けるわけにはいかなかった。
言えば、イリスは全力でティルの『望み』を阻止しようとするだろう。




―――・・・望み、か・・・」




ティルがベッドに横になっていたのは僅か3時間ほど。一晩と言うには短すぎる時間だ。
けれど、その短い時間の間に見たものは、ティルにとって余りにも衝撃的すぎた。

それは、―――ティルの『望み』を変えてしまうほどに。




「僕の・・・願いは―――




閉ざした瞳に映る幻は、優しくティルの身体を抱きしめてくれた。






+ + + + +






宿屋のロビーにいたのはまだフェイだけだった。
少し早く眼を覚ましてしまったフェイは、同じ部屋にいた人たちを起こさないように部屋を抜け出した。
そしてロビーに来て、まだ少し眠っている体を起こす為にストレッチをしていたのだ。
そして階段から聞こえてきた靴音に視線をそちらに向けると、そこにティルがいたのだ。

階段から下りてきたティルは、いつもは若草色のバンダナでしっかりと結った髪を下ろしたままの姿だった。
首元で結ってあった背中の中程まで伸びた髪は、ティルが一段一段下りていく度に揺れる。
身に纏っているのはいつもの赤い胴着ではなく、白い寝着。その上から軽く上着を羽織っているだけだった。
その所為か、白い肌はよりいっそう白く見え、儚そうに見える。

そんなティルのいつもと違った雰囲気に、フェイは思わず言葉を失った。




「おはよう、フェイ」

「あ!は、はい!おはようございます!」




自分がティルにみとれてしまっていることに気がついて、フェイは思わず声を荒げてしまう。
そんなフェイに、ティルは人差し指を口元に当てる。『静かに』の合図だ。
フェイは慌てて口元を覆い、それから様子を窺うかのようにティルを見上げる。
ティルはそんなフェイにくす、と笑みをこぼしながら、一番下の段を下りた。




「まだ寝ている人がいると思うから・・・ね?」

「・・・はい、すみません・・・」

「それにしても・・・今日は早いんだね。眠れた?」

「は、・・・はい、すごく寝心地がよくて、ぐっすりでした」




そういいながらフェイはティルから少し視線をそらした。
それをティルが見逃すはずもなく。




「本当に?眼が赤いけど?」

「・・・え・・・・・・」

「嘘をつくな、とは言わないけどね。むしろ軍主ぼくらは他人に心配をかけまいと嘘をつくことが多いだろうし・・・」

「・・・・・・ティルさんも、そうだったんですか?」

「そうだね・・・何度も嘘を言ったし、何度も無理をしたよ。けど、・・・気づかれることもなかった」

「僕は・・・駄目ですね。隠し事が苦手で・・・今もティルさんに気づかれてしまいましたし。ティルさんみたいになれたら・・・」




―――もっと、心配をかけなくて済むのに
そう言いかけてティルは首を振るった。
羽織っている上着をしっかりと握りしめて、真っ直ぐにフェイを見据える。




「君は、僕に言ったじゃない。―――僕の考えは正しいかもしれない。でも、フェイはそうなれないって。
・・・僕のようになりたいと思うのが間違っているんだよ。
―――言ったよね、君にはそんな軍主が似合うって。
素直なのも、隠し事ができないのも、それは全部『フェイらしさ』なんだから」




そういって、ティルは視線を落とす。
ティルのようになりたい、とフェイは言ったが、ティルはフェイのようで在りたかったと思う。
もう少し素直になれたら。
今更そんなことを考えるのは、遅いのだけど。

ティルの言葉にフェイは一瞬瞠目した。そして直ぐに「そうですね」と笑みを返す。
開き直りが早いのも、フェイの利点の一つだ。持ち前の明るさが、常に前を向こうとしているのだろう。




「ところで・・・どうして眠れなかったの?」

「・・・え?・・・それ、は・・・」




突然変わった話に、フェイははっきりとは答えなかった。
口を開いて、でも直ぐに俯いて閉じてしまう。けれどまた直ぐにティルをみて口を開いて。その繰り返し。
そんなフェイの様子を、ティルは瞳を細めて見つめた。




「・・・・・・ナナミちゃんのこと?」

「・・・・・・はい・・・」




なかなか口を割ろうとしないフェイに、ティルは自分からきっかけを作った。
その言葉に、フェイは一瞬躊躇って、それから頷いた。
俯いたまま見つめる視線の先にあるのは、右手。
今は茶色の手袋に隠されているが、その下には白い紋章がある。
その紋章の片割れは、今は敵となってしまった親友――ジョウイが持っている。




「一昨日の夜に、逃げよう―――って、ナナミに、言われたんです・・・」




それは知っていた。そしてフェイがすごく悩んだことも。
みんなの幸せを選ぶか、自分の幸せを選ぶか―――それはフェイにしてみれば究極の問いだろう。

軍主として、たくさんの哀しみを背負い、親友をその手で殺めるか。
全てを投げ出し、遠い国へ逃げ、姉と共に暮らしていくか。

問いかけられたのは突然。けれど、時間はフェイに考えさせる時間すら与えてはくれない。




「・・・それでも、君はここにいる。それが、―――君の選んだ『答え』?」




ティルの言葉に、フェイは黙ったまま頷いた。
それから、ぽつ、ぽつ、と小さな声で話し始める。




「・・・ルカを倒したら、それで終わるんだと思ってました。
まさか、ジョウイと戦うことになるなんて・・・
・・・それでも、幾ら僕がジョウイと戦うことを望まなくても、この戦いは終わらせなくちゃいけない、そう思ったんです・・・」




フェイは強く右手を握りしめる。
ティルは一度瞳を閉ざし、フェイの言葉を聞いた。
思い出すのは夕暮れ時。目の前にいるのは、ずっと憧れ続けていた姿。
その人が握る剣は、真っ直ぐにティルに向けられている。
―――どうして、と。泣き叫びたかった。
ずっと側にいたグレミオはもういない。
親友だったテッドは未だ囚われの身。
これ以上、何も失いたくはないのに。

目の前に立つ父の姿は、自分の知っているものではない。
自分と同じ、戦場に立つ将軍なのだ。
逃げるわけにはいかなかった。

―――戦いたくない。でも、戦いは終わらせなくてはいけない。

そんな今のフェイと同じ思いを、四年前にティルも抱えていたのだ。




「ナナミは優しいから、これ以上僕が傷つかないようにそう言ってくれたんだと思います。
でも、僕は・・・今ここで逃げるわけにはいかないんです。
そんな弱い気持ちで今まで軍を率いてきた訳じゃないんです。
僕の所為で亡くなった人も、大切な人を失った人だっています。
その人達の為にも、一刻も早くこの争いは終わらせなくちゃいけないんです」




真っ直ぐに拳を見つめるフェイの瞳は、強い意志が宿っている。
しかし、「でも」とフェイは続ける。




「・・・でも?」

「・・・時々、怖くなるんです」

「ジョウイと戦うことが?」

「・・・それもあります。でもそれ以上に・・・、僕が背負うものは・・・とても重くて」




逃げたくなるんです、とフェイは言う。

フェイが背負っているのは、この国の行方。
いわばこの国の人々の未来だ。そして、人の命なのだ。
軽いはずがない。




「・・・フェイ、君はナナミが好き?」

「・・・?勿論、好きです」

「ナナミも、君が好きなんだよ。君と同じくらい、ね」

「でも、僕は・・・」

「ナナミの好意を無にしたからって、君を嫌いになると思う?」




その言葉に、フェイは俯いたままふるふると頭を振る。
ティルはそんなフェイを見つめて優しく笑う。




「でしょう?だからフェイが逃げないと決めたのなら、全力で君を支えてくれるよ」

「ナナミは、優しいから・・・」

「うん、でも君を大切に想っているのはナナミだけじゃない。同盟軍に集まってくれた人たちだって、フェイを想っているんだよ?」

「・・・僕が、軍主だから?」

「・・・確かにそう思っている人は少なくないだろうね。でも、そうじゃない人だっている。
アイリと言う子は、違うよね?軍主だから一緒に戦ってくれている訳じゃない。
君だから、一緒に戦ってくれているんじゃないの?」




こく、とフェイが頷く。左手は右手の甲を覆い、ぎゅ、と握りしめる。
フェイは相変わらず下を向いていて、どんな表情をしているのか解らなかった。
そんなフェイにティルは近づき、フェイの両手を包帯を巻いている両手で包み込む。

力の込められているフェイの手は、暖かかった。




「フェイ。君が思っている以上に君は色んな人に支えられているんだよ。
これからだって、きっと君を支えてくれる。
ナナミちゃんだって、シュウさんだって、ビクトールもフリックも、シーナもルックも、君を見捨てたりしない。
ちがう?」




こく、とフェイがまた黙ったまま頷く。
それからゆっくりと顔を上げたフェイの瞳は、もう揺らぐことはなかった。
ティルを見て「ありがとうございます」と笑うその表情は、すっきりとしていた。
ティルはそんなフェイを見つめて、微笑み返す。

―――大丈夫、この子は強い。僕みたいには、・・・ならない。




「ところで・・・ティルさん、その格好・・・」

「ああ、気にすることの程でもないけど、体調が悪くて」

「え!?」

「大丈夫。一日休めば、何とかなるから」

「何とかなるって・・・」

「だから、今日はついて行ってあげられないんだ」




本当はついて行ってあげたいんだけど・・・、と言うティルに、フェイはブンブンと頭を振る。
とんでもない!と言いかねない勢いだ。




「シエラがついて行くから大丈夫だとは思うけど・・・万が一って事もあるから、イリスを連れて行って」

「イリス・・・って、赤いバンダナを額に巻いていて・・・左手に紋章を宿している・・・?」

「・・・紋章を見せたんだね。そう、彼。彼の持つ紋章も闇に属しているから」

「解りました。ティルさんがそう言うのなら」




そう言うとフェイはティルに背を向け、階段の方へ走っていってしまった。
ティルはそんなフェイを見てくす、と笑う。

誰かに報告をしに行くのだろうか。それとも、イリスに「今日はお願いします」とでも挨拶しに行くつもりなのだろうか。

イリスは、君の後ろにいたのに。




「・・・と言うわけで、よろしくね、イリス」

「・・・僕はそんな話聞いてないよ。だいたい、君が夜に出かけるのも知らなかった」

「言ったら、止められると思ったから」

「当然だ!」




後ろの柱から姿を現したイリスはティルに対して怒りを露わにした。
その優しさ故か、余り怒ったりしないイリスにしては珍しいことだ。
けれどティルはそんなイリスの行動が解っていたのか、驚いたりしなかった。
黙ってイリスを見つめ、イリスの次の言葉を待つ。




「君は、今自分がどんな状態なのか解っているのか?」

「解っているよ。だからこそ今日は休むって言ったんだから。
解ってなかったらフェイについて行くよ?それくらい、イリスだって解るよね?」




ティルの言葉に、イリスはグ、と言葉を飲み込んだ。
確かにいつものティルなら無理を言ってでもフェイについて行っただろう。それこそイリスの言葉などまったく聞かずに。

休む、と言ってくれた時点で、大進歩だと言える。
それかそれほどティルの体調が悪いのか。

・・・後者の方が可能性が高い気もするが。

しかし、今目の前で立っているティルはそれほど体調が悪いとは思えない。
少し顔色が悪いのは、貧血だろう。けれども両足でしっかり立てるのだから、それほど重傷ではないだろう。

イリスはティルを身体をじっとつま先から頭の先まで見つめ、それからため息を吐いた。




「・・・解った。今日は休んでくれるんだね」

「その代わり、フェイにはもう言ってしまったけど、彼らについて行って欲しい」

「了解。その代わり、しっかり休むんだよ」

「うん、解ってる」




何度もため息をつくイリスに、ティルは苦笑いをするしかない。
しぶしぶ、といった感じで階段を上り始めたイリスに、ティルは申し訳なさそうな顔をした。
けれど、ティルに背中を向けていたイリスは、そんなティルの表情に気付くことはなかった。

ティルはそんなイリスの背中を見送ってから、踵を返し、宿の入り口に向かう。
いつもより少し冷たく感じる扉を押し開くと、少しずつ陽が昇り始めている空が見えた。
澄んだ空気を肺に入れながら、肌寒さを感じて、上着をしっかりと羽織りなおす。

ぱさ、とティルの肩に鳥が降りる。
ガラス玉のような蒼い瞳をティルに向け、何度も首を動かす。
整えられた白――というよりは蒼銀に近いが――の羽を何度か羽ばたかせる。
その度に羽が頬に当たり、ティルはくすぐったさを感じて肩を窄める。
その鳥の足に、小さく折りたたんだ紙を結い着けると、ティルはその鳥の頭を撫でた。
ぴぃ、と鳴きながらティルの手にすり寄る鳥に「よろしくね」と言葉をかけると、鳥はそのまま羽を羽ばたかせ、空に向かった。
その鳥の姿を見えなくなるまで見つめた後、ティルは宿の中に戻る。

鳥の足に結んだ紙には一言だけ。

―――昼に。

それだけで、伝わる相手だった。






+ + + + +









ふわ、と何もなかった部屋の中に風が舞う。
それはただの風ではなく、魔力を帯びた風だとティルは気づき、そちらの方に視線を向けた。

朱色の光と青白い光は部屋の中を照らし出す。それは眩しいほどに。

ティルは瞳は閉ざし、光が収まっていくのを待った。
やがて光が収まりティルがゆっくりと瞳を開いていくと、そこには今までなかったはずの二つの姿があった。

一人は今朝早くにティルの元に現れた少年――ロイだった。
長く伸ばした茶色の髪を揺らし、猫のような金色の瞳を細めながらベッドに腰掛けているティルに視線を向ける。

ティルがベッドから足を下ろし彼らの元に向かおうとすると、慌ててロイが藍色のマントを翻す。
けれどロイの手がティルに届く前に思わぬ制止が入った。




―――駄目!病人は大人しくしてて!!」




ロイよりも先にティルの肩を掴んだのは、蒼い光から現れた少年だった。

年はティルやロイと同じくらいだろうか。
ロイと同じ体躯の少年は、銀に輝く髪を揺らしながらティルの肩をぐいぐいと押しやる。
吃驚したのか、ティルはそのまま少年のされるがままになり、そのままベッドに無理矢理座ることとなった。
ティルが少年の方をちら、と見ると、少年は大河を思わせるような蒼い瞳を細めてティルに微笑む。




「・・・ファル・・・?」

「ティルは寝てて良いの。僕たちはティルの話を聞きに来ただけなんだし」

「飲み物くらい用意できるよ」

「そんなのロイにやらせればいいの」

「・・・・・・人使い荒いな」

「じゃあティルにやらせるつもりなの?ロイは。病人に対しての気遣いがなってないよ?」

「・・・お前がやればいいだろ。病人にさせなくとも」

「・・・・・・・・・病人病人って連呼しないでくれる?」

「病人だろ?大人しくしてろ」




ティルが溜め息を吐きながら二人に呟くと、ロイも溜め息をつき踵を返した。
この少年――ファルに何を言ったところで茶の用意などしてくれないと解っているからだろう。

「何かもらってくる」と言って部屋から出て行ったロイに少年は手を振り、ロイの姿が部屋から消えるとファル年はティルの隣に腰掛けた。
ティルは勿論ロイの言葉がただの口実だとわかっていた。
ロイはちゃんと宿屋の入り口から入ったわけではない。
今宿屋の人に話しかけたら疑われてしまう。
だからこれは、ティルとファルが二人だけで話す機会を与えられたと言うことだった。




「・・・ファル」

「ん?なぁに?」

「僕とルックを助けてくれたの、ファルなんだって?ありがとう」

「・・・・・・吃驚、したんだからね」

「・・・だろうね」

「すごく、心配したんだからね」

「うん」

「すっごく、すっごく、心配したんだからね?」

「・・・うん」




そう言って瞳を潤ませながらティルの身体に腕を回すファルに、ティルは抵抗することもなく、ファルの背中を優しく撫でた。
しっかりしている時はすごくしっかりしている彼は、安心すると涙腺がゆるむようである。
これで数年前に一つの軍をまとめ上げていたというのだから、驚きだ。




「大丈夫だよ、ファル。ファルのお陰で怪我は治ったし、ちょっと魔力を使いすぎただけだから」

「本当に、もう大丈夫?」

「うん、大丈夫。さっきだってベッドの中にはいたけど、そんなに体調は悪くないから本を読んでいたんだよ」

「・・・寝てなくちゃ、駄目」

「・・・・・・君たちに話をしたら、寝るから・・・」




今頃フェイ達はあの坑道の中を歩いているのだろうか。
その中にはイリスもいる。ルックも、シーナもいる。話をするなら、この機会を逃す他はない。
もし誰かに聞かれたら、絶対に止められるのだから。

ぱたん、と音がして顔を上げれば、扉を背にしたロイがいた。
勿論手の中には何もない。けれどそれをティルもファルも咎めることはない。初めから何も持ってこれないと解っていたのだから。




「・・・お帰り」

「・・・ああ。話はもう良いのか」

「これから本題に入るところだよ」




ファルはティルから身体を離し、乱暴に服の裾で目元を拭う。
そしてロイを見て持ち前の明るい笑顔を見せる。

ティルはふぅ、吐息をつく。

決して難しい話ではない。ただ、今朝見た夢について話すだけ。見たままを話せばいいのだ。
それなのにこれほど緊張しているのは、見た夢の内容が、余りにも衝撃的だった所為だろうか。

正直なところ、余り思い出したくない夢だ。
今朝見たときは思わず叫びそうになった。今思い出すだけでも、吐き気が襲ってくる。

けれどそれを奥歯を噛みしめることで耐える。

背中を向けることは出来なかった。見て見ぬふりをすることは出来なかった。


見た夢は、―――ただの夢ではないのだから。


そう考え直して、改めて二人の方を見る。二人もティルを見つめていた。ティルが話し始めるのを待っているのだろう。
ティルはほんの少し左手の甲が熱きなっている気がした。それを二人に気付かれないように、左手の上に右手を重ねる。

もう一度息を大きく吸い込む。
そして。




―――少年が一人、・・・崩れていく神殿の中で、泣いていたんだ・・・」






+ + + + +






ティルは黙ったまま二人の反応を待った。
左手の甲が熱い。その上から重ねた右手で、左手を握りしめる。

不思議と吐き気はしなかった。
叫びたい衝動に駆られるほど衝撃的だったハズなのに、何処か受け入れてしまっている自分がいる。




―――・・・れが、」




走る沈黙の中、一番始めに口を開いたのはファルだった。
彼は俯いたまま、自分の纏っている緑の外套をきつく握りしめている。
その彼の腕に、ぽと、と何かが落ちる。
それが何か、ティルとロイが気付く前に、ファルはもう一度口を開いた。




「・・・それが、ティルの・・・見た、夢・・・?」




ぽと、ぽと、ぽと。
ファルの外套に、落ちていく何か。それはファルの外套に深緑の染みを創っていく。
それがファルの涙だとティルとロイが気付くのと同時に、ファルは顔を上げた。




「それが、―――ティルの『望んで』いたことなの?」




大河のような蒼い瞳に溜まった涙は、堪えきれずにどんどんとファルの白い頬を流れていく。
その涙は留まることを知らないのか、ファルが瞬きをする度に一滴、また一滴、と流れていく。


ファルの問いかけに、ティルは何も答えなかった。答えられなかった。
ただ、ファルの流している涙に罪悪感を感じ、視線をそらす。


ファルの涙を止める術を知らないわけではない。
ただ否定してしまえばいい。今言ったことは嘘だと、ただの夢だから、と。

けれど、彼らに嘘はつきたくなかった。

―――彼らなら。
そう思ったからこそ、話したのだから。




「ねぇ、ティル、・・・それが、貴方が手に入れたかったものなの?
そこまでして、手に入れたかったものなの・・・ッ!?」




ぽた、と涙が落ちる。ロイはやるせない気持ちでそれを見つめた。
眉根を寄せ、ファルを見つめ、それからティルを見る。

相変わらずティルは二人の方を見ようとしない。
ただ、苦しそうに眉を寄せ、瞳を細める。
ほんの少し視線をそらすと、ティルの重ねられた手から緋い何かが見えた。

それが血だと気づき、ロイは顔を上げて口を開く。
恐らく手の甲に爪を立てていたのだろう。そして力を込めすぎて、爪が皮膚に食い込んだのだろう。




「・・・ッティル、手―――

「そうだよ」




ロイとティルの声が重なる。
その所為か、余りはっきり聞こえなかった声に、ロイは目を瞬かせる。
ファルには聞こえたのだろうか。その蒼い大きな目を瞠目させ、ティルを見つめている。

―――ティルは今、なんと?

俯いたままだったティルが、ゆっくりと顔を上げる。そして真っ直ぐに二人を見つめ、もう一度口を開く。




―――そうだよ、ファル。僕は、どうしても『望み』を叶えたいんだ。
・・・例え、―――何かを犠牲にしても」




真っ直ぐにファルとロイを見つめる青灰色の瞳は、まったく揺るぐことがない。
その瞳に見つめられて、ファルは息を飲むことさえを忘れる。

ティルは自分の左手を見つめる。包帯の巻かれていないところにははっきりと爪の跡が残され、そこから血が流れている。巻かれていた白い包帯は、一部朱に染まってしまっていた。




「・・・初めから言っていたはずだ。『どんな犠牲も厭わない』と。
何かを求めるなら、―――それなりの犠牲が必要なんだよ、ファル」




ファルはティルの言葉に、さらに瞳を大きくする。
ロイもティルの言葉に思わず息をすることさえ忘れた。

―――犠牲。
その言葉で全てが片付けることができるのだろうか。
そして何よりも、それをティルが言ったことに、二人は愕然とした。




「・・・ティ―――

「悪いけど、俺たちは一度帰る」




もう一度ティルに話しかけようとしたファルを片手で制して、ロイがティルに告げる。
ティルはそんなロイを何処かうつろな瞳で見つめた。
ファルはそんなロイの行動に驚き、責めるような視線を向ける。




「ロイッ!?」

「ティルの話を、もう一度整理したい。今のままだと、俺もファルも受け入れられない。
―――俺たちには、どうしてティルがそこまでの『犠牲』を払うのかが、解らない」




ロイの言葉に、ファルが黙り込む。ロイの言葉は正論だと思っているのだろう。
ティルもそれが正論だと思う。
ティル自身、未だ完全に受け入れられたわけではないのだ。
ファル達が受け入れられないのも無理はない。

ティルは「・・・そう、だね」と力なく頷く。ロイはそんなティルの姿に瞳を細める。
ティル自身も迷っていることに気が付いているのだろう。
けれど、ロイはティルにかける言葉が見つからない。

何を言ったら諦めてくれるのか。
どういったら受け入れずに済むのか。




「・・・ティル、俺たちはその夢がただの『悪夢』になることを―――願うぜ」




ロイのその言葉と共に、二人の身体をまばゆい光が包み込んでいく。
ティルその光景をぼうっとした意識の中で見つめていた。

やがて光が消え、部屋にいるのはティルだけになる。
ティルは腰掛けていたベッドに、そのまま上半身を倒す。

古びた天井が視界に入る。それは何故か4年前に過ごしていた城の自室を思い出させる。

何度あの部屋で『彼』と言葉を交わしたのだろうか。
何度あの部屋で『彼』と本を広げただろうか。
何度あの部屋で『彼』と辛い時を過ごしたのだろうか。

今となってはただの想い出でしかない。
それでも、『彼』がどれだけ大切だったかを想い出させてくれるのには充分だった。




―――『悪夢』、か・・・」




ぽつ、と呟かれた言葉は、誰の耳にも入らぬまま部屋の中に消えていった。










<<BACK / ▼MENU / NEXT>>