例え、誰かが『悪夢』であって欲しいと望んでも。
闇の中の教会。静まりかえった教会の中に響き渡る、オルガンの音。
オルガンの鍵盤を叩く指に力を込めながら、その牙をむき出しにした口元を歪める。
血色の悪い顔色。しかし、その瞳は血走り、まるで血のように緋く輝いている。
月明かりに照らされて、紫色の変色した唇が姿を見せる。
ここに一般人がいたら悲鳴を上げるだろう。
それほどにオルガンを弾いている男は恐ろしい姿をしていた。
クク・・・、と男の笑いが漏れる。
響き渡るオルガンの音に被さるようにして、男は歓喜の声を上げた。
近づいてくる『盾』の気配。
その目的が、自分の討伐であることなどとうに知っている。
それを知っていながら、逃げようとはしない。その必要などないからだ。
『盾』の力は未だ完全ではない。むしろ片割れと離れている時間が長いせいか、不安定になっている。そんな力を恐れる必要が、何処にあるだろうか。
こちらは『月』を宿して、もう百年を超える時を迎える。
たかが一年ほどしか『盾』を宿していない人間に、負けるはずがない。
むしろ恐るべきは『生と死』だ。彼の力は予想以上だった。
しかし、その気配は今は感じられない。ここに向かっているメンバーとは別行動なのだろう。
それほどまでに、力を使ったのだろうか。
万が一危険を感じた時は逃げればよいのだ。以前、滅びたノースウィンドウで彼らにあったときのように。
それに―――
そう考えて、男の口元にさらなる笑みが浮かぶ。
気持ちの高揚と共に、オルガンの曲も最高潮に達する。
決してこれは終曲などではない。
これは序曲(なのだ。
その為の『力』も見つけた。
四年前は確信が持てなかった。
しかし、今回は確信がある。間違いない、間違うはずがない。
あの『香り』を、忘れるはずがない。
「さて・・・」
ポーン、と教会に最後の音が響く。
窓の外は闇色。活動の時間としては遅すぎる時間だが、自分にとってはこの時間が丁度良い。
「狩りに、行くとしましょうか・・・」
最上の血を持つ、獲物の元へ―――
+ + + + +
ベッドに腰掛けて、ティルは月夜に照らし出された左手を見つめていた。
淡く光る雷鳴の紋章の下からさらに強い輝きを放つそれ。
その手の甲に、付けられた傷。正確に言えば、爪痕。
決して欲しいと望んだ能力ではなかった。
これの持つ意味はとても重く、けれど誰に言うことも出来なかった。
これの持つ意味を知ったのは、解放戦争が終わってから。
何故、父の部屋に置かれていた母親の形見とも言える日記を持って行こうと考えたのか。それは解らなかったけれど、旅の宿でそれを広げて見て驚いた。
それに、左手の紋様のことについてかかれていた。
左手を握りしめ、その上から右手を重ねる。
―――・・・ティル、俺たちはその夢がただの『悪夢』になることを―――願うぜ
昼間の二人の顔が忘れられない。そして、去り際にロイが行った言葉も。
「―――『悪夢』、か・・・」
そう呟いて、ティルはそのまま後ろに倒れる。
とさ、と音を立てて倒れ込んだベッドは少し冷たい。
そのまま左腕で両目を覆う。
もうティルには何が『悪夢』なのかが解らない。
ティルにしてみれば、どれも『夢』で済ませてしまいたい。
けれど、それが叶わないことは解っている。だから一番『マシ』なものを『現実』にしようとしただけなのだ。
それなのに、彼らはそれを『夢』であって欲しい、と願うのだ。
なら、何が『現実』になるべきなのか。
どうすれば彼らが望む『現実』が視れらるのか。
かたん、と窓が鳴ってティルの意識が現実に戻される。
そして慌てて身体を起こし、見た窓の外の光景に、ティルは思わず言葉を失った。
「―――・・・な、・・・ネクロード・・・!?」
そのティルの呟きは窓ガラスの割れた音と重なり、誰の耳にも届かなかった。
ぱき、と窓ガラスの破片を踏む音が闇夜の静まりかえった部屋に大きく響く。
その音は次第にティルに近づいていく。
ティルはベッドの上を後ずさりながら、どうするべきか迷っていた。
今のティルでは満足に紋章を使うことが出来ない。
左手を使うことは出来るが、それはもしかしたらこの状況を悪化させるだけかも知れない。
ギリ、と歯を食いしばりながら、ティルは目の前に立つネクロードを睨みつける。
その血色の悪い紫色の唇は、ティルを見てにたりと嗤った。
「お迎えに上がりましたよ、―――我が花嫁(」
ティルの頭の中には、『何故』と言う言葉が飛び交っていた。
何故、ネクロードがここに来たのか。
何故、自分を求めるのか。
何故、自分の居場所を知っているのか。
何故、―――自分の中に流れる血のことを知っているのか。
考えようとしても、血が足りない所為で目眩を起こしがちな頭ではまともな答えは得られない。
そんなティルにネクロードはさらに近づき、ティルの身体に手を伸ばす。
ティルはさらに後ずさろうとするが、既に後ろには壁の感触がある。
ただネクロードを睨みつけることしかできないティルに、ネクロードはさらに口元を歪める。
「そう言う強気な処も私の好みなんですがね・・・女性でないところが惜しい」
「ならば、女性の所へ行ったらどうだ?」
「まさか。貴方はそれに勝る条件を持っている。
その性格、その姿、その瞳・・・どれをとっても私好みですよ。
勿論、―――その身体に流れる血もね」
そう言ってネクロードはティルの細い肩を掴む。
その強い力にティルは一瞬眉を顰め、唇を噛みしめる。
しかし、その次に走った激痛に、思わず呻き声を漏らした。
「・・・ぐ、ぅ・・・!」
「・・・さすが、とでもいいましょうか。これほど魔力に満ちた血は他では味わえませんよ・・・」
そう言ってネクロードは口元に付いた血を拭う。
ティルは激痛に霞みつつある意識を何とか保ち、右手で自分の首筋を押さえる。
ティルは確かめたわけではないが、その手を濡らす物が己の血であることに気付いていた。
―――ただでさえ血が足りないのに、と舌打ちしたい気持ちになったが、そんな余裕はティルにはなかった。
ネクロードの手がティルの目の前に翳され、眠気が襲ってくる。
それに立ち向かえるほどの気力は今のティルにあるはずもなく、ティルはそのまま意識を手放した。
+ + + + +
ジャラ、と足下で鳴る。
逃げられぬように細い足首に着けられた鎖は、頑丈で、今のティルには到底壊せそうもなかった。
鎖が着けられたのは、そこだけではない。両手首を繋いであるのも、重い鎖だった。
ティルは過度の貧血で重い頭で最悪だ、思う。
度々襲う目眩で立ち上がることすらも出来ない。
それに、棍を宿においてきてしまった。
今のティルに棍を満足に振るえるほどの力があるとは思えなかったが、それでもあるのとないのとでは違う。
今のティルは殆ど魔力がない。つまり紋章が使えないのだ。
己を守る術がない―――不安だけが残される。
「―――おや、お目覚めですか」
ガチャ、と音と共に開かれた扉から姿を現したネクロードを見て、ティルは、せめて自分の不調を感づかれないよう、奥歯を噛みしめながらネクロードを睨みつける。
そんなティルを見て、ネクロードは「おやおや」と返した。
「御気分、御機嫌、共に優れないようですね?」
当たり前だ、と言おうとするが、吐き気がこみ上げてきて慌てて開きかけた口を閉じる。
口の中に苦い味が広がる。それを奥歯を噛みしめることによって耐える。
そんなティルの体調を知っているかのように、ネクロードはくすくすと嗤いながら、ティルの顎に手を添え、俯いていたティルを無理矢理自分の方に向かせる。
血色の悪い、紫色の唇がにたりと嗤う。
「・・・悪、シュ・・・ミっ・・・!!」
「そうですか?結構似合っていると思うのですが・・・ねぇ?」
何とか絞り出した言葉に、ネクロードは笑いだけを返す。
それからねっとりとした視線を、ティルの身体―――その身が纏う服に這わせる。
首元の大きく開いた襟。
肘までの、口の広い袖。
浅いスリットからは、白い太腿が紅い裾から見え隠れしている。
両手にいつもの包帯はなく、代わりに白い手袋が着けられている。
下ろしていたはずの長い髪は、結われ、飾りまで付けられている。
「貴方には紅が似合うと思っていたのですよ。・・・思った通り、白い肌がよく映える・・・」
褒められても、まったく嬉しくない。今ティルが纏っているのは、どう見たって女物のドレス。
四年前にテンガアールを攫ったときに『花嫁』と言う言葉を使っていたが、それをティルにも当て嵌めているのだろうか。もしそうなら、迷惑きわまりない。
顎に添えられている手を振り払いたい衝動に駆られるが、鎖が重くて手が上がらない。
悔しさにティルは両手を握りしめる。
「相当体調が悪いようですね。顔色が優れませんし・・・」
お前の所為だ、と言いたいが喋ることが出来ない。
奥歯がギリ、と音を立てて軋む。
「そんなところ悪いのですが、血を頂きます」
「っ、!?」
「すみませんねぇ・・・何しろ『盾』が近づいてきているものですから」
そう言うが早いか、ネクロードはティルの首元に己の顔を寄せ、牙をむく。
首元の開いた服を選んだのは、この為だろうか。
プツ、と言う音と共に走った痛みに、ティルは悲鳴を上げぬよう唇を噛みしめ、眉根を寄せる。
何かが抜けていくような感覚がし、ネクロードがその傷口を舐め、ティルの首元から顔を離す。
唇に付いた血を舐め、にたりと嗤う。
代わりにネクロードから解放されたティルの身体は、言うことを聞かず、側にあった壁に凭れ掛かる。そして重力に従うがままに、ずりずりと落ちていく。
頭の重みの所為か、傾いた身体はそのまま横に倒れる。
「ああ・・・、満ちていく、というのはこの様な感覚のことを言うのでしょうね。やはり貴方の血は最高ですよ」
ネクロードを睨みつけることすら叶わないティルは、ネクロードの指が自分の首筋を撫でていくのを感じた。
嫌悪感が襲うのに、指一本動かせない身体が恨めしかった。
「これ以上血を流されは困りますからね」
そう言ってネクロードは身体を支えていることすら出来ずに横たわっているティルの両手を繋ぐ鎖をぐいと持ち上げる。
身体に力の入らないティルはそのまま引き上げられ、ネクロードに寄りかかるしかない。
朦朧とした意識の中、ティルは自分の身体がネクロードに抱え上げられたのを感じた。
+ + + + +
教会の扉を開いた途端、フェイは言葉を失った。
オルガンを奏でるネクロードの隣に置かれた椅子に腰掛ける、紅のドレスを纏った少女。その少女は気を失っているのか、瞳を閉ざし、ぐったりしたまま動かない。
スカートの裾から覗く足下は長い鎖に繋がれている。鎖の先に着いているのは、少女の顔ほどもあろう、大きな分銅。
その少女の顔色は、とても良いとは言えなかった。
扉を開けたままいきなり足を止めたフェイを訝しんで、ビクトールとシーナがフェイの後ろから覗き込む。
目に入る、巨大なオルガン。その前に座るネクロード。そしてその隣にいる、少女。
その少女を見た途端、シーナがフェイを押しのけて教会の中に入る。
「っ、ティル!?」
その声に、外にいたイリスとルックが慌てて駆け込む。
それと同時にネクロードが鍵盤を叩いていた手を止め、扉の方に振り返る。
「もう少し静かにしていただけませんか?我が『花嫁』が目を覚ましてしまうじゃありませんか」
そう言ってネクロードはティルの側まで行くと、左手を手に取る。
くすくす、と嗤うネクロードに、シーナとイリスが駆け寄ろうとするが、足下に落とされた雷で一歩後ずさる。
く、と唇を噛みしめ、シーナは剣を抜き、構える。
「お前、ティルに何をした!?」
「おい、ちょっと待て。アレは本当にティルなのか?」
「当たり前だ!俺がティルを、・・・見間違えるはずがない」
女にしか見えないが・・・と言葉を続けるビクトールを無視し、シーナはネクロードを睨みつける。
イリスも同様に双剣を抜き、ネクロードを睨みつけ、そこで初めて気が付く。
ネクロードが、ティルの左手に―――あの『紋様』に唇を寄せていることに。
その様子はまるで『花嫁』に愛を誓う様にも見えるが、彼のはもっと禍々しい。
イリスがその事に気付いたのを感じ取ったのか、ネクロードはさらに笑みを深めた。
「『これ』は素晴らしいですね。さすが『御印』とでも言いましょうか」
その言葉に、キッ、とイリスの瞳が鋭くなる。
そんなイリスにルックが近づき、ぽそ、と言葉を紡ぐ。
イリスはその言葉に、一瞬驚いて、その後小さく頷いた。
その二人のやりとりが、ネクロードに気付かれないほどに小さく。
「今日こそ、お前を倒す!」
そう言って前に進み出るビクトールにネクロードはにたりと笑みを浮かべ、ティルの背後に回り、その白い肌に顔を近づける。
そこにいる皆に、見せつけるかのように。
その途端、ティルの眉根が寄せられ、顔が苦痛に歪む。
その後に顔を上げたネクロードの口から顎にかけて、紅い雫が流れる。それがティルの血だと、言わずとも誰もが気付いた。
それを、ネクロードは無造作に拭う。
「やれるものならどうぞ?『力』を得た私を、倒せると思うのなら」
そう言ってネクロードが一歩前に進み出る。それを見て、それぞれに自分の武器を構え直す。
教会の中に、こつこつ、とネクロードの靴音が響く。
だんだん詰められていく距離。
丁度ネクロードが教会の中央に来たあたりで、ネクロードが足を止めた。
「・・・っな、!これは・・・!?」
止めたネクロードの足下に描かれる紋章。
青白く輝くその光に照らされて、ネクロードの動きが鈍くなる。
ガクリとその場に膝をつき、苦しみ故か、顔を顰めながらビクトール達を睨みつける。
「そこまでじゃな、ネクロード」
そう言って扉の方から現れた少女に、ネクロードは紅い瞳を瞠る。
銀に輝く髪、蒼い外套、白い肌。
何百年と変わらぬその姿は、ネクロードも知っている。
「・・・シエラ、様・・・」
「さて、わらわの月の紋章を返してもらおうかぇ?」
そう言って近づいてくるシエラに、ネクロードは分身を作り出して逃げようとする。・・・が、思うようにいかない。
何故、と戸惑っていると、足下に浮かび上がっていた紋章に、さらに何かが重ねられている。
シエラに気を取られている間に、もう一つ施されたらしい。
「逃げようとしても無駄ですよ。貴方の術は封じさせていただきましたから」
「・・・ッ、マリー家の・・・」
「さぁ、どうする?大人しくわらわに紋章を返すか、それとも・・・」
そう言ってシエラは後ろに視線を向ける。
その視線の先にあるのは、それぞれの武器を構えたフェイ達の姿。
それを見てネクロードはグ、と奥歯を噛みしめる。
「わ、解りました・・・紋章を・・・」
「なら、はようわらわに紋章を返すのじゃ」
シエラが差しだした手を見つめて、ネクロードは一瞬躊躇いつつも、紋章を返そうと意識を集中させる。
シエラは自分の身に紋章が帰ってきたのを確認すると、ふん、と鼻で息をついてネクロードに背を向ける。
それにネクロードが安堵を息をついたのもつかの間。
「紋章は返してもらった。後はおんしらの好きにすると良い」
「なっ・・・!そんな、シエラ様!」
シエラの言葉に、ネクロードが慌てふためく。
シエラの方に手を伸ばすが、シエラはそれをひらりとかわし、卑しい物でも見るような視線をネクロードに向け、笑う。
「なんぞぇ?わらわはおんしを『助ける』とは一言も言っておらぬぞ?」
「・・・だとよ?ネクロードさんよ。年貢の納め時だぜ?」
うぐ、とネクロードが唸る。
そのネクロードに向かってイリスが駆け出す。それを見てルックが何かを紡ぎ出す。
ネクロードは迫ってくるイリスの剣を横に避けようとする。しかし、ネクロードの身体は足下に描かれた紋章の所為で思うように動かない。
蝙蝠と変化して逃れようとするが、イリスはその時に出来た隙を見逃さずに蝙蝠の羽を傷つける。
掠り傷ではあったが、傷を負った羽では自由に飛ぶことは出来ない。
ネクロードが蝙蝠から変化を解いたとき、教会に強風が吹いた。
それに驚いた者達は慌てて自分の顔を両腕で覆い風を凌ぐ。
しかし吹き荒れた風は直ぐに収まり、その所為で出来た隙をついて、今度はシーナがネクロードの足を切りつける。
うぐ、と呻くネクロードはイリスとシーナに向かって雷を放つ。
それをイリスとシーナは後ろに下がることで避け、それからにたりと笑う。
「―――『花嫁』は返してもらったぜ?変態吸血鬼さんよ!」
そのシーナの言葉に、ネクロードが慌てて振り返る。
オルガンの側にある椅子の上には、何も座ってはいなかった。代わりにその椅子の直ぐ側に、気を失ったままのティルと、そのティルを支えているルックの姿があった。
ルックはティルを抱きかかえたまま、ティルの額に右手を重ねる。そしてその冷たさに驚きながら、右手に宿った旋風の紋章でティルを癒していくが、それが大した効果を生まないことは解っていた。
今ティルの意識がないのも、体温が低いのも、怪我の所為ではない。血が足りない所為だ。
紋章で怪我を治すことは出来ても、失った血を戻すことは出来ない。
ルックは舌打ちをして、癒しの魔法を止め、またテレポートをする為にティルを抱え直し、小さく魔法を紡ぐ。
同時に右手が熱くなり、ルックの周りを風が囲う。
その次の瞬間、ルックとティルはオルガンの側ではなく、ファイ達の側にいた。
それに気付いたフェイが慌てて駆け寄ってくる。
「今、紋章を・・・っ!」
「無駄だよ」
「ルック!?」
ティルの上にフェイが右手を翳すが、それをルックが抑える。
フェイはそれに驚くが、ルックがティルを楽な姿勢を取らせるために横たえようとすると、慌てて自分のスカーフを取り、それを適当に畳み、『余り意味はないだろうけど・・・』と零しながらティルの頭の下に置く。
ルックはそれを見てからゆっくりとティルの頭を下ろす。
「・・・紋章が治せるのは怪我だけだ。失われた血を戻すことは出来ない」
「なら、早く医者に・・・」
「そう、アイツを倒してね」
そう言ってルックが視線を上げる。
その先にいるのは言うまでもなく、ネクロード。そしてそれに対峙しているイリス、ビクトール、シーナの姿。
「・・・・・・ぅ・・・」
「ティルさん!?」
小さな呻き声を、ルックとフェイは聞き逃さなかった。
苦しそうに眉根を寄せたティルはゆっくりと閉ざしていた瞳を開いていく。
もう一度瞬きをしてからルックとフェイを見る。
「・・・ぅ・・・、く・・・?・・・ぇ、い・・・?」
「ティルさん!大丈夫・・・な訳ないですよね。
もう少し頑張ってください。アイツを倒してきますから」
そう一方的に言うと、フェイは立ち上がり、ネクロードの方へと駆けていく。
ティルはまだぼんやりとした様子でその背中を見つめていた。
目が覚めたとはいえ、未だ意識がもうろうとしているのだろう。
「・・・ぁ・・・れ、たい・・・て・・・、・・・ぃっ・・・・・・る・・・」
「・・・ティル?」
何かを呟くティルの顔を、ルックが覗き込むと、ティルはけだるそうな顔をしたままルックの方に視線を向けた。
それから重いだろう、両腕を少しだけ上げる。
シャラ、と鎖が鳴った。
「これ・・・、こ・・・ぁ・・・し、て・・・」
ティルの途切れ途切れの言葉に、ルックは頷く。
とても掠れて聞きにくい声ではあるが、なんと言っているのかは解った。
ルックはその持ち上げられた両手を持ち上げると、右手の紋章に意識を向ける。
「―――切り裂き」
小さく呟くと、鋭い風の刃がティルの両手を繋いでいた鎖を断ち切る。完全に取り外すことは出来ないが、ティルは「壊して」と言ったのだからこれでも良いだろう。
ついでに足枷の方も壊そうとしたところで、ティルがルックの手を止めた。
「・・・ぉ、こして・・・」
そう言われてルックは横たわっていたティルの背に自分の手を差し入れ、自分に寄りかからせるようにして、ゆっくり起こしていく。
上体を起こしたティルは苦しそうな呼吸を続けたまま教会の中央を見つめる。
ネクロードの雷が床を焼く。
ビクトール持つ星辰剣がネクロードを傷つけていく。
その反対側でシーナがネクロードを追いつめていく。
そこに出来た隙をイリスが突く。
皆が負った傷を、フェイの紋章が癒していく。
確実にネクロードは追い込まれている。このまま放っておいても滅ぼされるだろう。
けれど、それだけでは気にくわないものが、ここに、いる。
「ルック・・・」
「何?」
「ごめん」
「は・・・?一体、な・・・!?」
「何?」と聞こうとしたルックに、突然脱力感が襲う。
この感覚は前にも味わったことがある。あれは確か、・・・そう、魔力が欠乏したとき。
ルックが視線を動かすと、ルックの右手に重ねられたティルの左手が、微かに青白い輝きを放っていた。
―――暴れたい。
「・・・いいよ・・・」
そう言って、ティルは右手を翳す。
白い手袋の下から、緋色の輝きが漏れだす。
けれど、右手の甲から現るのは闇色の影。
「暴れて、おいで。―――――ウィルド」
ティルの声に反応するように、闇色の影が渦巻き、それはゆっくりと形を創っていく。
あまりの禍々しさに、その場にいた全員が動きを止め、ティルの方を振り返る。
それから、思わず目を瞠る。
闇色の外套を被った、少年のようなモノ。
それが人でないことは誰もが解った。その少年はふわふわと浮いていたのだから。
ウィルド、と呼ばれた少年が顔を上げた瞬間に落ちたフードから覗く銀の髪。
その髪の間から覗く右頬には、ティルの持つ紋章が描かれている。
ゆっくりと開いていく、その瞳は緋色と青灰色。
「―――さぁ、そこの吸血鬼」
ウィルドは微笑む。けれどもその威圧感には、誰もが身動きすらとれなかった。
ふわ、と軽やかに足を地面に着けながら、ウィルドはその二色の瞳を鈍く光らせる。
その視点の先に、怯えた顔がある。
それを確かめてから、ウィルドはにたりと嗤い、鎌を握り直す。
「―――どんな、死に方が良い・・・?」
その声は顔に似合わず氷のように冷たく、そして刃のように鋭かった。