心から、望むのは―――







死神の姿を見て、イリスは慌ててティルの方に視線を送った。
一応上体を起こしてはいるが、それはルックに支えられているから出来ること。
未だ良くない顔色が、ティルが無理をしていることを物語っている。

―――何故、と考える。
ティルの魔力はもう殆ど残されていないはずだ。

現実に『生と死の紋章ソウルイーター』の化身をこの目で見るのは、イリスも初めてのことだった。
けれど、存在だけは知っていた。そして、呼び出すのに多大な魔力を使うことも。
幾ら昨日今日で快復したと考えても、全快したはずがない。
一日二日で全快できる程度の魔力で呼び出せるのなら、ティルは度々呼び出しているだろう。

そう考えて、ティルをよく見てみると、仄かに左手の甲が光を放っていた。その左手はルックの右手と重ねられている。
ちら、とルックの様子を見ると、何処か苦しそうだった。

なるほど、とイリスは心の内で納得した。

そんなイリスの意識を現実に戻すかのように、アルトヴォイスが教会の中に響き渡る。




「ね、僕は確かお前に言ったよね?」




―――これ以上ティルを傷つけるなら手加減はしない、と。


にこ、と微笑みながら言う死神の姿に、ネクロードは血色の悪い顔をさらに青くして後ずさる。
その様子を見て、ウィルドは「愚かだね」と言って嗤いながら一歩近づく。
それと同時にネクロードが一歩下がろうとする。
その次の瞬間、ネクロードの視界を、闇色と銀が覆い尽くす。




―――だから、『愚か』と言ったのに」




この程度の距離、一瞬なのに。


クス、と死に神は嗤い、闇色の鎌が振られる。
ぼと、と言う音と共に教会の床に落ちた物は、そのままころころと転がっていく。
その落ちた物を見て、それを見た者は言葉をなくす。




「ぅ、ぎゃぁぁああああぁぁぁああ―――!!!」




教会にネクロードの劈くような悲鳴が響き渡る。
左肩を押さえて膝を突く。
ウィルドは転がった物を踏みつけ、ネクロードの方に冷たい視線を向ける。




「・・・五月蝿いな」

「うぐ・・・ぁ、かは・・・ぁぁああっ!」

「本当は首を切っても良かったんだよ?それに比べれば、左腕なんて安い物だろ?」




そう言ってウィルドは鎌を振り下ろし、刃に付いた血を振り払う。
その時頬に付いてしまった血を手の甲で拭い、その血をペロ、と舐める。

その様子を見て、イリスもビクトールもフェイも息を飲んだ。
唯一人、シーナだけがウィルドを睨みつけていた。

ウィルドがその視線に気付かないはずがなく。
ウィルドはシーナに視線を向けるとくす、と嗤う。
その様子はまるで、あの日――ティルの左目をウィルドが奪った日を彷彿させるかのように。

細められた瞳。その左の青灰色は、ティルのものだった。
それは、あの時のシーナの無力さを、愚かさを表しているようだった。
シーナは奥歯を噛みしめ、眉根を寄せる。


そこから少し離れた距離、教会の扉の直ぐ側で、ルックは息を少し弾ませながらその様子を見つめている。
ルックから見えるのはウィルドの横顔だけだが、その頬に描かれた物。


それは、紛うことなく『生と死の紋章ソウルイーター』。

それだけで理解できる。
今目の前にいる少年の様なモノが、紋章ソウルイーターの化身なのだと。


ちら、とティルの法に視線を向けると、ティルは苦しそうに肩で呼吸をしていた。
腕を上げる気力もないのだろう。先程まで掲げていた右手も、今は力なく垂らされている。
瞬きをするのも辛そうな表情で、―――それでも視線はしっかりとウィルドを映している。

こんなティルに、化身を生み出せるほどの魔力が残されていたとは思えない。
どれほどの魔力が必要なのか、ルックには解らなかったが、それが容易でないことは解る。
以前、ウィルドを呼び出したとき、ティルは倒れたのだから。

やっぱり、とルックは納得した。

今は収まっているが、先程輝いていた左手。それと、突如襲いかかってきた虚脱感。
それだけでルックは自分の魔力がティルに奪われたのだと気付く。

一度視線を左手に移す。けれど手袋に覆われた左手の甲におかしな処は何もない。
それを確認してから、ルックは顔を上げ、ティルの見つめている先を見つめた。




「・・・暴れ足りないんだけど、なぁ・・・?」

「・・・ぅ、ぐ・・・っ、ぁ・・・」

「これ以上やると、死んじゃいそうだしね?
僕が殺してあげても良いけど・・・それはティルの望みじゃないし」




ウィルドはくすくす嗤いながら、未だ肩を押さえたまま、痛みの余り身動きをとれずにいるネクロードの顎を鎌の刃のない方で掬い上げ、無理矢理自分の方を向かせる。
青灰色と緋色に輝く瞳は、ネクロードの苦しみに歪められた瞳を射抜く。




「ビクトール、だったっけ・・・?」

「うぉ?!・・・へ、あ?」

「・・・・・・・・・・・・」

「な、なんだよ・・・」

「・・・本当は僕が殺したいんだけどね、本当は。、が」




その左右で違う色を宿した瞳をビクトールに向ける。
顔は幼いながらも整っているというのに、その瞳は冷たく、そして鋭い。

あからさまに『不本意』だと態度で表されて、ビクトールは苦笑いを返すしかない。
そんな二人の態度を見て、星辰剣が呆れたように溜め息をつく。




「・・・譲ってあげるって、言ってるんだけど?」




殺るなら、さっさと殺ってくれない?

そう言ってウィルドは鎌を下ろすと、ネクロードから身を離す。
そのままウィルドはネクロードに背を向け、ティルの方に歩み寄る。

ネクロードは呻きながらもその背中を見つめ、奥歯を噛む。


―――あんな少年の姿のモノに、勝てないなんて・・・!


そう思いながら顔を顰めるネクロードの前に、影が落ちる。

ふと見上げれば目の前にあるのは、窓から差し込んでくる朝日を跳ね返す、鋼の刃。




―――さぁ、おねんねの時間だぜ?吸血鬼さんよ」




そう言って、白い光を放つ刃が振り下ろされた。
それは真っ直ぐにネクロードの胸を貫いた。






+ + + + +






力のないティルの手を、ウィルドは両手で包み込んだ。
ちらりと視線をティルの顔に向けると、ウィルドは眉根を寄せた。

白を通り越して真っ青な顔色に浮かぶ、玉のような汗。
きつく閉ざされた瞳、寄せられた眉。
ほんの少し開いた唇からは、苦しそうな呼吸が繰り返される。
もう意識もないのだろう。冷たい手は、ウィルドの手を握り返してはくれない。




「・・・イリス・・・だったっけ?」




ウィルドはティルの手をさらにきつく握りしめて、振り向きもせずに言う。
突然名指しされたイリスは、驚きの余り一瞬間を開けて、「何?」と返事を返す。




「ここには『ファル』がいない。だからこの中で一番ティルに『近しい』アンタの力を借りたい」




『ファル』と聞き覚えのない言葉に、周りの人間が首を傾げる。
傾げなかったのは『ファル』を知っているシエラとイリスだけだ。
イリスはウィルドの言葉に反応したかのように熱を持ち始めた左手の甲を抑え、瞳を細める。

何をすればいいかなんて、分かり切っている。

イリスは一瞬だけ躊躇ってから「わかった」と呟く。
前に進み出てウィルドの隣に座ると、ウィルドはそれまで両手で包み込んでいたティルの右手をイリスに差し出す。
イリスはその手に、自分の左手の甲を重ね、一呼吸置く。

その次の瞬間、ティルの身体を、蒼い光が包み込んだ。
けれどそれも一瞬で、直ぐに消えてしまう。

何事かとルックがティルの顔色を伺うと、瞠目した。
青かった顔色は決して赤いとは言えないが、それでも少しは良くなっていた。
呼吸も落ち着いていて、ほんの少しではあるが、ティルの具合が良くなったことだけは明らかだった。




「君がティルにされたことの逆を、しただけだよ」




あっさりとそう言ってのけるイリスに、ルックは言葉も出なかった。

『ルックがティルにされたこと』。それは魔力を奪われたことだろうか。
ならばその『逆』は与えたと言うこと。

魔力の譲渡など、そんなに簡単にできるものではない。
魔力のコントロールが相当手練れている者でも難しいだろう。
ルックですら、やったことはないのだ。

クロウリーのような熟練の魔術師には到底見えない、目の前の少年に出来るようなことではないはずだ。
ましてや少年は腰に二本の剣を差している。どう見ても魔術師には見えない。

そこではた、と気付く。
視線を彼の左手に動かせば、抑えられているのか、微かにしか感じられない気配。けれど、それが普通の紋章のものと違うことは直ぐに解る。

そんなルックに、イリスは笑みを浮かべ、意識のないティルの背を膝裏に腕を差し入れ、静かに立ち上がる。そしてそのまま踵を返すと、扉の方へと歩き出した。
それにつられるようにしてティルを囲んで様子を見ていた他の人たちも、扉に向かって歩き出す。

ルックは軽くなった自分の腕を見つめ、それを握りしめる。
そのまま静かに立ち上がると、視界が傾いだ。
傾いた身体を、シーナが受け止める。




「ルック、お前・・・顔色が―――

「ティルに大分魔力を奪われたからね。君も早く休んだ方が良い」




シーナの言葉と重なるようにイリスの声が飛ぶ。
扉の側に立つイリスの顔色が全く変わっていないことが何処か悔しかった。
ルックはぐ、と奥歯を噛みしめ、シーナの胸を押して身体を離す。




「・・・?ルック?」

「・・・大丈夫、だから」




大丈夫なのか、と聞きた気な声色に、ルックが心配ないと首を振る。
心配そうにシーナはその後ろ姿を見ていたが、その足取りは意外としっかりしていて、シーナは溜め息を吐く。

瞳を閉じて脳裏に過ぎるのは、ティルの青い顔。




「・・・どうして―――




自分の緩く開かれた右手を見つめる。
その手をきつく握りしめて、シーナは瞳を細める。

幼い頃からレパントに育てられてきただけあって、剣技の腕はそこそこにある。
母譲りなのか、魔力も人より少し秀でている。

けれど、―――足りない。

真なる紋章を宿していないシーナは、宿しているルックよりもティルの異変に気付くのが遅くなってしまう。
魔力が少し高いだけじゃ、イリスのようにティルに魔力を分け与えることは出来ない。


ティルを、―――護れない。

もっと力があれば、護れたかも知れないのに。
今も、四年前も。




「・・・なんて顔、してんのさ」




後ろから突然声を掛けられて、シーナは慌てて後ろを振り向く。
そこにいたのは、銀の髪を持つ少年。その前髪から覗くのは、頬に描かれた紋章。
それと、静かな輝きを放つ、血のように緋い瞳と青灰色の瞳。
―――ティルの、瞳の、色。




「・・・三年・・・いや、もう四年前になるんだっけ?この瞳を手に入れたのは」




そう言って少年は自分の左目を左手で覆い、右目でシーナを見つめる。
その瞳が何処か挑戦的で、シーナは奥歯を噛みしめその少年を睨みつける。




「・・・その顔、あの時もしてたね。ティルの身体を使って、アンタに話しかけたときも」

「・・・・・・っ・・・!」

「悔しそうな、そんな顔」




くす、とウィルドは笑ってシーナに一歩近寄る。
そして「ねぇ、」と言って、にたりと笑う。




「僕が、憎い?」

「・・・・・・」

「・・・即答すると思ってたのに、しないんだね」

「・・・憎んでる、そう言えばティルに返すのか?」

「まさか」




何を、とはシーナは言わない。ウィルドも分かり切っているから聞かない。

くす、と嘲笑うかのようにウィルドが口元を歪ませる。それを見て、シーナは眉根を寄せる。




「僕にしてみれば、どっちだって良い。憎みたければ憎めばいいしね。
・・・ただ、」




すぅ、とウィルドの顔から笑みが消える。
ほんの少しだけ床から浮いた足で背伸びして、シーナの胸元を掴み、自分の方へと引き寄せる。




「四年前、ティルはアンタを『庇った』」




その代わりに、自分の左目を失った。
それなのに誰にもそれを気付かせることもなく、ずっと笑顔を振りまいていた。




「その意味が、アンタにわかる?―――アンタを失うことが、怖かったからだ」




そんな素振りは一度も見せなかった。見なかった。
いつだって、ティルは笑顔でいたからだ。


・・・そう、『見なかった』。


だって、気がついたら自分の瞳に映るのは、いつだってティルの背中だった。
真っ正面から見つめたことなんて、なかった。
瞳があったら直ぐに逸らして。その時のティルの表情なんて知らない。

そう、『気がついたら』そうなっていた。

何時からティルの背中しか見てなかったかなんて、解らない。
それまでは、―――自分は背中を向けていたから。




「なのに、アンタは・・・!」




ウィルドは少し背伸びをしてシーナの胸元を引き寄せる。
その所為でシーナは腰を屈める羽目になり、ウィルドの顔が近くなる。

そこで気づく。

ウィルドの眉は辛そうに寄せられていたことに。
ウィルドの瞳が哀しそうに細められていたことに。
ウィルドが、苦しそうに奥歯をかみしめていたことに。

ウィルドが一番ティルの傍にいて、―――しかしそれ故に一番悔しがっていたことに。




「アンタは・・・ッ、誰よりも先にティルに背中を向けた!!」




―――そう、先に背中を向けたのは、俺のほう。


これ以上、傍にいてはいけないと思った。
また同じようなことがあったら、シーナがソウルイーターに狙われたら、ティルは同じように自分自身を犠牲にする。
そんなこと解りきっていた。だから、それを避けようと思った。

そう、考えて。ティルを遠ざけて。
でも結局シーナが出来たのは、自分自身の命を守ること。ティルを傷つけること。
ただ、それだけ。




「・・・僕を恨むなら、恨めばいい。だけど、僕だけにして」




シーナの服を握りしめていたウィルドの手から力が抜け、指が弛まる。
シーナの視界に入るのは、俯いてしまったウィルドの銀髪だけ。
その緋色の瞳も、青灰色の瞳も見ることは出来ない。

それでも、判る。だって、力なくシーナの服を握っているウィルドの手が震えているのだから。
ウィルドが、泣くのを堪えていることぐらい、直ぐに判る。




「・・・『何も、・・・誰も失いたくない』・・・」

「・・・・・・?」

「そう、ティルが言うんだ。『もう二度と失いたくない』って」

「・・・・・・」

「僕は人を失う悲しみを知らない。
だけど、ティルが居なくなるって考えただけでも、苦しくなる。
ティルは、そういう悲しみをいっぱい知ってるんだと思う。・・・だから、」




ば、と顔を上げたウィルドの瞳には、今にもこぼれ落ちそうな涙。

本当は泣きたいのに、だけど絶対に泣かない。
こういう姿は、どこかティルに似ているように思う。




「だから・・・お願い、だから・・・」




―――傍にいてあげて。

その一言が出なくて、ウィルドは「だから、」と繰り返す。
酷な願いだと、解っている。それでも、ティルの為には言わなくてはいけない。

そんなウィルドの頭に、シーナが優しく手を乗せる。
綺麗な銀髪の髪をぐしゃぐしゃに撫でて。




「解ってる・・・」




その言葉で関が壊れたように泣き出したウィルドの頭を抱き込んで、シーナは優しくその背中を撫でてやる。

その姿は、年相応だった。









一つの夢を見た。


それは、確かに夢。

だけど、初めて見たとき、その恐ろしさに涙が止まらなかった。


―――だから。


この先、何があっても。

この先、どんな夢を見ても。

この先に、どんな悪夢が待ち受けていても。


僕は、怖くない。




あの『夢』より怖いものなんて

きっと、―――僕にはないから。











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【nightmare】・・・悪夢・悪夢のような事態



* * * * * * * 後書き * * * * * * *




長くなりました・・・。
初めは5話の予定だったのですが・・・伸びました。

その分書きたいことが山ほど・・・。

まず、途中に出てきた『ロイ』と『ファル』。
気付いている方もいらっしゃることでしょう・・・おそらくは。
特に『ロイ』の方は。
彼が上手く表現できていれば直ぐに気付いていただけるかと。
正体を明かすのはまた今度と言うことで・・・、次。

次、女装ティルについて。
これは、ちょっとした仕掛けがあります。次回当たりでその片鱗だけでも(?)顔出すと思われますので・・・。

未だ謎は色々と残されてますね・・・。

それとシーナとソウルイーターの化身、ウィルド君の関係。
管理人的には兄弟のようになってくれると良いな、なんて感じます。
以外とウィルドを気に入ってくださっている方が覆いようで嬉しいですv

ティルの左手に宿る蒼い紋様。
ティルの身体に流れる血と能力。
そして今回のテーマ、『悪夢』。
解説をするならば、ティルは悪夢を見て、決断した。それだけです。
何を決断したか、についてはまだまだ謎のまま引っ張ります・・・(すみません・・・)

色んな意味でこの話は重要だったと言うことを憶えておいていただけると幸いです・・・